今朝、8時からの朝食アポのため歩き始めたときには、寒くて寒くて、思わずタクシーに乗ってしまった。ワンメーターの距離。でも、歩けない。
頭の上から熱が逃げていくのだ。今日に限って、大昔に買ったカシミアのロングコートを纏っていた。中にユニクロのウルトラライトダウンを着ているから寒さ対策バッチリのつもりだった。ところが、フードがないのだ。フード付のダウンなら、雪が舞ってきても大丈夫。なのに、今日の私にはフードがない。私の体温が頭から奪われる。耳が痛い。今年初めての、イヤーマッフルを欲する寒さだ。
まるで冷凍庫の中みたい。そう、NYとか年末のミラノとかを思い出す。ロシアの人々があの帽子をかぶる意味、80年代半ば、NYに行ったときに私は初めて知ったのだった。
最初の冬の海外経験はパリ。新婚旅行でアフリカのセネガルへ行く際に経由したためだ。サントリービールのCFの撮影チームから、ケニアはいいよ!と聞かされていた私はケニア旅行を所望したのだが、相手に強行に反対され、一旦はセイシェルに落ち着き、しかし、クーデターがあったために行き先を変えざるを得なくなった。そこで仕事で知り合った地中海クラブの人のちからを借りて、エアーフランスでパリまで出向き、欧州の人々とともに地中海クラブのツアーに入ったのだった。
行きはトランジットのみ、帰りにパリに降り立った。本当の年末だったが、クリスマスイルミネーションの名残が美しかった。ダウンなどない季節、偶然長いコートは持っていたが、足元からジワジワ冷えてくるのだった。底冷えという言葉が身にしみたのはその時だ。それでも、頭は無事だった。
厳寒のNYへは80年代半ば。国連勤務の友人宅に居候してNYを歩いていた。彼女のアパートのエレベータで出会った老婦人が私を見てクレージーだという。冬のNYをそんな格好で歩くのか。私のロングコートを貸すから部屋に取りに来い、というのだ。オフタートルだったと思うが、ショッピングピンクのセーターの上にオーストラリアで買った黒い革ジャンを来ていた。下はスパッツような黒いパンツ。無防備といえば無防備だが、若さゆえ、怖いもの知らずだった。
ところが、次第に、老婦人の声掛けの意味がわかってくる。お尻が寒いのだ。腰が冷えるという感覚を生まれて初めて知った。それに、頭上が寒いのである。自らの力で温めている貴重な体温が、頭の上から逃げていく。どんどん奪われる感じなのである。
なるほど、マンハッタンを歩けば、誰もがロングコートをまとい、帽子をかぶっているではないか。あ、ソ連の人々の毛皮の帽子は、ここから来ているのか。
そんなことを思い出しながら着いた先は昨年誕生した新しいホテル。時節柄、外来客の朝食が断られる昨今、門戸を開いてくれている嬉しい存在なのだ。サンドイッチを食べおえて、ふと窓の外を見ると、雪が舞ってきた。薄い白の断片がほわほわと舞い降りてくるのだった。
ホテルを出るころには、どうなっているだろう。あの美しい雪華を頭に受けてみたいような、でも私の体温で溶かしてしまうとすれば勿体無いような、家を出たときの冷気を忘れて、自分の髪の上に降り注ぐ雪を想像する私がいた。熱を奪われることなど、すっかり忘れて。