懐石の器展を観に、ミホ・ミュージアムへ。桜の満開のころに訪れたのは今回が初めて。2枚めの写真、青空が広がっているのは閉館後、石山駅へ向かう最終バスを目指して急ぐころ。こんな写真を期待していたのですが・・・。
着いてすぐ午後一が最初の写真。桜に向けると曇り空なので、いまひとつですが、青いきものが私です。桜背景にトンネルの中で私自身をカメラに収めると逆光になるので、どれもこれも真っ黒のシルエットばかり。
南禅寺にて桜吹雪が舞うころ、新管長の晋山式が行われた。
南禅寺ほどの格の高いお寺であれば、もっと賑々しく行いたかったであろうに、コロナ禍の影響で、静かに、小規模で行われた。しかし、桜の花々は確実に新管長を歓迎しているのがうつくしい光景からわかる。
南禅寺は五山のさらに上、別格なのである。江戸時代まで、どれほどの権勢を誇っていたことか。明治政府に、その土地の多くを召し上げられ、それらは富裕層の別荘となった。廃仏毀釈で全国の寺は辛い思いをしたと聞くが、とりわけ南禅寺クラスのの悔しさはいかばかりか。想像しただけで、胸がいたくなる。
興味深いのは、通常は閉まっている勅使門が開いたことだ。勅使門、かつては天皇陛下の勅使が訪れるときのみ開いた。いまは晋山式のときのみ開く。警備のおじさまが、自分が生きている間にここが開くのを見られるとは思っていなかった、と皆に説明していた。管長は命ある限り、その任期を全うする。
勅使門から本堂までまっすぐに通じる道。建仁寺の管長などの参列者を含む御一行は、途中三門を潜って厳かに進まれ、本堂の中では正面に座られた。その間行われたことの意味など、正直この宗派の儀式の意味はよくわからなかった。だが、このおめでたい式の様子を拝見できたことは幸運と言わざるをえない。
10代の頃から、私には人と同じで安心するという感覚がない。
ファッションひとつでも、他人と違ってナンボ。他の人と差別化ができてこそ、心が安定するようなところがある。だから、流行を追いたいという感覚がない。流行り物に飛びつかない性分なのである。
たとえば大学生になってすぐ、長い棒状のイヤリングが流行った。マイ・ピュア・レディ。資生堂のCFで小林麻美が耳につけて走るシーンがきっかけだったと記憶している。受験を終えて、なんとなくオシャレを覚えるころなので、友人たちは棒状のイヤリングをしていた。
ならば、と街を探し歩いてカミソリの形状のイヤリングをみつけ、私の耳に垂らしていた。色はゴールド。もちろん、本物ではない。父の髭剃りの中に入っている長方形のカミソリの刃は縦2センチほどで、耳の下で揺れると実に愛らしかった。しかも周囲では誰も着けていない。大満足だった。
当時、仲間うちで西洋占星術に照らして、こんな分析をしていた。「てんびん座は人と同じだと安心する。競争心の強い牡羊座は人と同じ物を身について勝ちたい。しし座は、他人と同じ物は選ばない」。はい、しし座は私を指すのだった。流行に振り回されない生き方は、動物の王者としては当然のことである。
流行を無視するわけではない。トレンドを一部取り入れて、自分らしく生きることが気持ちいいのである。たとえば和服を着る時も、桐たんすに入っていた母の着物をそのまま着るのは野暮である。平成風に、令和風に、帯か着物か小物を使って、イマドキの風を纏うことは重要だ。流行を追いかけるのではなく、風を感じて自分なりにアレンジする。それが着こなしのセンスというものだ。
行動の選択もそうだ、みんながやっているんだから、というのは私に対して最も説得力のない言いまわしである。ワクチン然り、SDGS然り。身を守るため、入国のためならワクチンをうつし、本当に地球のためとわかって取り組んだことが結果、SDGSだったという具合である。隣にあわせて流されるのではなく、自分の意志で、自分が選んで、という部分が大切なのである。
報じられている映像についても、鵜呑みにできない性分だ。自分で情報を集めて、自分の経験値で正しいかどうか見極めたい質(たち)なのである。
実社会では、この性格が禍したことは数知れず。だが、歳を重ねてみると、それは自信につながっている。人の評価に左右されない、精神的に体幹のしっかりした自分ができあがっているからだ。地球の怒りや自然災害へのおそれはあるが、しかし、他人の目は怖くない。自分に審美眼があるからだ。
おかげで、流行作家からは程遠い。売れる本を編み出すのが上手ではない。もしも、私の生き方に問題があるとすれば、これを仕事として生きていくことであろうか。
岐阜のおばさまの御殿飾り。名古屋で購入したのだという。なるほど、名古屋生まれの母の御殿飾りに似ている。
母の御殿飾り由来の旅を東京時代から続けてきたが、昭和天皇の御大典を受けて流行したスタイルだったというのが私の中での現時点での結論だ。しかも、静岡から西、京阪神での流行だったという。この雛飾りが名古屋での購入、昭和一桁と聞けば、母のほぼ同じ時期。まさにドンピシャ!
今回は雑誌サライのために雛飾り公開イベントを開催し、片付ける前に見せていただいたというわけだ。ご一緒頂いたのは、節句コーディネーターのイベール氏。入ってくるなり、あれやこれや並び方などの手直しが始まった。実はここへ来る前に、彼には神明舎に立ち寄っていただき、我家の御殿飾りも整えていただいていた。
あれほど探し歩いた御殿飾り。京都でも、最近になって公開するところが増えている。出すのが大変だから、半端ないエイヤ!の気合いが求められるからなのだが、そうこうするうちに、自分が御殿飾りリサーチャーと化していることに気付いた。4月3日までの日々、まだまだ雛飾り見学が続いていく。
帯はこの季節の定番、ひいなの帯。着物は♫の描かれている紬。孔雀色。この時はまだiPhone7+。でも、よく撮れている。
春分の日、琵琶湖でご来光を拝もう! レイラインの日の出が美しいと19日夜に聞いた私たちは、急遽、現地へ行くことに!
最初は夜中に車を飛ばして、しかし、教えてくれた女性が、家に滞在してもいいというので、前の晩からご厄介になることに。寅の日の信貴山に続いて、雑魚寝合宿第二弾となった。
結果は、雲が覆ってご来光は断念。脇の空が赤くなるのを観て終わった。
諦めて戻る途中、かなり昇ってきた太陽が雲の間から鈍い光を放っているのが見えた。湖面のさざなみに、ゆるい橙色の光が映るのがなんとも美しく、いつまでもいつまでも、そこに座っていたくなるのだった。
写真はあらためて。
ようやくスマホを新しくした。
iphone 13 pro max.
iphone 7 plus を5年間使い続け、途中で一度新しくしたものの、電池はすぐ切れる、テザリンはできなくなる、カメラ機能の調子悪いときがある、などのトラブルが続き、さらに7plus を使い続けるべきかどうか悩んだ挙げ句出した結論だった。
老眼でなければ、この後に発売されるiPhoneSEを買いたいところ。コスパで選ぶならこれだと思った。が、画面は大きくなければならない。iPhone7+に執着したのは、そのためだ。となると、iPhone13PROでさえ、幅が足りない。ゆえに、重くとも高くとも画面の大きなPROMAXにするしかない。しかも、ゴールドはPROしかないのである。
型落ちしたiPhone12でいいじゃないか、という声もあるのだが、しかし、ドコモから乗り換えて手続きするのが面倒だ。他にも、フレッツ光のトラブル、もうひとつのガラ電話の不具合などなど、全部を一度に解決したかった私は、ドコモ詣でを続けて、ここに至ったのだった。
17時から始まった手続き、終わったのが22時過ぎ。おなかはすくし、疲れるし。
これでテザリングができると思ったら、いまはそれだけで幸せ。カメラの良し悪しは翌日に。
ロシアのウクライナ侵攻に日本の若者がここまで怒るとは、映像のインパクトと、SNS報道のなせる技というべきだろう。
武力を憎む気持ちは大切だ。戦争からは何も生み出さない。馬鹿げている。それを訴えたくて、私は『ワシントンハイツ』を上梓した。大国の思惑を知ってほしいと思ったからだ。
犠牲になるのは、常に一般の市民である。命を落とした方々、避難を余儀なくされている方々に、心よりお見舞い申し上げる。
しかしながら、報道を鵜呑みにするのが危険なのも事実だ。
たとえば、特派員が事実を伝えたくても、日本の空気を見ながら東京のデスクに歪められることもある。彼らがそれを嘆くのを何度も聞いた。意図的にフェイクニュースが流されるのは最近に限ったことではない。技術が発達したいま、加工は難しいことではない。何が本当で何が嘘か、メディアが真実を見せているとは限りない。流れてくる写真や映像が現在進行系なのか、捏造されていないか、疑ってみる価値はある。
時には上空からウクライナ情勢を見てみよう。プーチンさえコマのひとつにすぎず、操っている輩がいるかもしれない。時には、中世の歴史に目を転じてみよう。この争いの深層にあるものは中世から続く対立の構図かもしれない。そのよじれ方は、日本人のコメンテータがテレビで語れるほど簡単なもどではないはずだ。
私自身は、1990年、ベルリンの壁崩壊直後の東欧ソ連をホームステイして歩き、人々の声を集めてきた。ひょんなことから、ウズベキスタン映画にも出た。ウクライナに特に執着はないが、普通の日本人より、彼らの歴史を見聞きしてきたつもりだ。だから現地を知らない日本の視聴者より少しだけ土地勘はある。だから、嘘も見破る力が備わっているほうだ。
強調したいのは、昨日までの日常が未来永劫に続くわけではないという時代がやってきたことだ。だから、あらゆる想定しておくことをオススメする。「ありえないという思考停止」が日本人を駄目にする、と私は常々訴えてきた。いま起きていることを冷静に受け止め、自分が当事者だったらどうするか、常にシミュレーションしてみることだ。
万が一、我が身に降りかかってきたときに慌てないために。