米副大統領、六本木のヘリポートを離陸

東京滞在中の木曜日朝早く、外苑西通沿いローソンでコーヒーを買おうとしたら、店の前にバリケード、くわえてカメラマンが陣取っている。カマラ・ハリス副大統領が米軍ヘリポートからヘリで横田基地へ移動するまでの、道路を走る車列狙いなのだそう。
私が『ワシントンハイツ』を上梓した時には、六本木にある米軍ヘリポート周辺を、こんな堂々と撮影するなんて考えられず、尋問覚悟でこそこそ取材していたのに。トランプ前大統領からかな、ハーディバラックス(占領期のここの呼び名)のヘリポートの存在が、公然の秘密となった(意味不明の人は、『ワシントンハイツ』序章と16章を読んでね)。かくいう私も写真をFBにあげて咎められないのだから、隔世の感をいなめない。この変化の裏に何があるか、一度検証せねば。
それにしても、東京のカメラボーイたち、なんとなくスマート。祇園祭追っかけカメラおじさんとエライ違い。服装のせいかな。私服の警備員かと見間違う。
カマラハリスが飛び立った後は、警備員が解除とともに中に誘ってくれるサービスぶり。彼等の金網越し随行機撮影準備が始まった。なるほど、大きな脚立はそのためだったのか。皆、米軍基地撮影に慣れているようで、東京のど真ん中に存在する米軍基地に違和感もたぬ世代が、爽やかに日本社会を構成しているのだと思い知った。彼らに拙著『ワシントンハイツ』の存在を教えたかったが、あまりに普段着おばさんの出で立ちゆえ、名乗らずに去った。
ま、せっかくだから、私も随行機、スマホ動画で撮影しておいた。ここにはあげないが、講演とかで使える可能性もあるので。

プロフェッショナル再放送

もしも夜更かしされているなら・・・
1時28分よりNHKで、プロフェッショナル 仕事の流儀「“普通”を極めし、その先に~日本料理人・森川裕之~」が再放送されます。
例によって、私が瞬間的に映り込んでおりますが、とても良い番組なので、ご高覧をオススメします。

浴衣地の洋服

毎年、#祇園祭 には、浴衣を着て脚立もって走り回っている私。
「祭なんだから当然取材も和服だよね」の一言に支配されて洋服が着られず、しかし、浴衣に脚立はどうかしら、と思いながら齢を重ねて、さすがに無理を感じるこのごろです。

で、最近思いついたのが、浴衣の生地でパンツスーツを作ること。パタン勉強中の学生さんとかにお願いできないか、と考えていたら、出会ってしまったのです、浴衣風味の洋服に。

#ケイタマルヤマ、その人は、なんと私の考えを形にしていたのであります。が、気づいたのは、ケイタさんが京都でポップアップストアを2日だけ開いた晩夏。よって、トップスはソールドアウト、スーツとしては成立せず。パンツのみ購入。

さて、これが浴衣代わりになるかどうか、#弘道館での講座 に着ていきました。トップスが紺一色はキツイかなあ、似た配色の麻の布でトップス作る必要があるかも。団扇文なので、盛夏限定ですね。少なくとも京都では。

久々に味わう野田岩の鰻

久し振りに江戸の鰻を食しました。

幼い頃は母に「ウナちゃん」と呼ばれるほどの鰻好き。なのに、京都でも食べる機会少なく、伊勢や名古屋に行ったときに頂いたくらい。じゃあ、東京で食べればいいじゃないと思うのだが、一人鰻はさすがに抵抗があり、ようやく念願の江戸の鰻です。

エンジン01文化戦略会議・教育委員会が野田岩で開かれ、15匹分の肝焼きに涙。美味すぎて。フォアグラを思わせるトロトロの味。命を頂戴するのだから、感謝しながら、恵まれている日本人の私たち。

東京、活気あるなあ。青山西麻布でランチするだけで、若者から発せられるエナジーに圧倒されるのだが、夜に集った文化人の方々は落合陽一さん以外はほぼ中年高齢の集合体だったというのに、なんか元気。こういう刺激は、京都では得られない。東京の鰻と仲間に元気もらって、前向きになれた私です。

が、実を言うと、かなり酔いました。新書7冊がベストテン入りしている和田秀樹さんが持ち込んでくれたワインが美味で、ビール、菊正宗に加えて赤白ワインいろいろ味わううち、久し振りのお酒に私の臓物、ちょっと驚いたようでした。

重陽の節句

大阪・船場の個人宅にて、重陽の節句の飾り付けを見学。大阪から始まった「後の雛」を菊の節句にふさわしくアレンジされているのが素晴らしい。菊の造花は、雲上流の作品。お家元が高齢のため、こうした立派な作品はもう造られないという。

一昨年と同じ菊文の生紬に、帯を替えて参上。藍の、菊にも見える花が織られた羅の帯で。

重陽の節句 2022 上賀茂神社と法輪寺

旧暦の重陽の節句は10月14日ですが、神事法要は新暦9月9日に斎行されます。今年は、上賀茂神社の重陽神事に、その後、法輪寺の法要に参列しました。
上賀茂神社では、本殿の前に進むだけで祓われた感じがします。実にありがたい。例年、神事のあと烏相撲が開催されますが、今年は中止。直会の菊酒を頂き、バス移動。洛北から嵐山までは果てしなく遠い。どうにか法要に間に合いました。
法輪寺には、伊東久重先生お祖父様の作品である菊慈童が飾られ、金剛流による能「菊慈童(枕慈童)」が奉納されました。終わってから寺務所を訪ねたら、茱萸袋は売り切れ。昨年のが手元にあるものの、毎年、菊が微妙に違うと知って、集めてみようかと思ったのですが、残念。

森英恵さんのご冥福をお祈りします

東京女子大の先輩でもある森英恵さんがいち早く世界的デザイナーになりえた裏に、占領期に日本へやってきたアメリカ将校夫人の存在があります。明治神宮隣にできた「ワシントンハイツ」のような米軍家族住宅は戦後、「日本人の衣食住をアメリカ化」する役割を果たします。住空間から畳が消え、和服を捨てて洋服に走るのです。
将校夫人の衣服縫製を依頼された森英恵さんは、将校夫人たちが持ち込む型紙を通して、丸いフォルムを覚えます。それらは、彼女がドレメで学んだ型紙と全く違ったのでした(拙著 第9章 有閑マダムの退屈な日々 参照)。その後、日本は空前の洋裁ブーム。アメリカに残されている占領期の日本の地方紙には、雨後の筍のように、洋裁教室の広告がぎっしり掲載されていたのをこの目で確認しています。
私も80年代終わりに、香港やバンコクでお気に入りの洋服持ち込んで、同じフォルムの服を作った経験があります。香港男子は私の服を解体して型紙をとり、縫い直して返却してきました。当時のアジアはまだまだ貧しく(90年代に入って目覚ましい成長を遂げるのだが)、彼らは先進国から来た客の情報をむさぼるように吸収しようとしていたのです。占領期の将校夫人からしたら、森英恵さんの「ひよしや」は、そんな店だったのでしょう。
ハンカチやトイレタリーなど、ライセンス事業であらゆる商品にハナエモリの蝶々が溢れた時代、正直、辟易して目をそらしたこともありました。でも、80年代に買ったVIVIDの赤いスーツとトロピカル風スカートは、いまも手元に残しています。
25歳で結婚した私に財力はなかったけれど、もしも富裕な一族に嫁ぐようなご縁があってドレスをオーダーしていたら、どんなデザインだったかなあと、森英恵さんの旅立ちを機に妄想してしまいました。
先輩のご冥福を、心からお祈りいたします。合掌
追記:文庫版『ワシントンハイツ』はデジタル版として販売されていますが、単行本・文庫本ともに新しい紙の本をご所望の場合は、神明舎で受け取ることができます。ご連絡くださいませ。

変わり三つ巴紋 片身替 @祇園祭宵山

またまた先月の写真で恐縮ですが、

#山鉾連合会 元理事長・#吉田孝次郎 先生と、#祇園祭 の #後祭宵山#北観音山の駒形提灯 を眺めつつ。祭友の菊約さんが撮影してくれました。

#変わり三つ巴文#片身替わり
こちらもコーデが難しい浴衣。苦しみました。

誉田屋さんスタッフ総勢で、アキオ向き、と強く勧められたものの、浴衣としては??。たしかに、この色使い、洋服なら私に似合う色で、緑の箔も面白い。が、帯がイメージできず、かつ祇園祭の山鉾との相性がいいとは思えず。ひとつ間違えば、東南アジアの市場着のようにもなりかねず。

でも、三つ巴文は八坂神社の神紋で祇園祭にふさわしく、片身替わりが新鮮だったので、挑戦してみましたが。うーむ。

で、帯が気になりますよね、、、。

芭蕉文の浴衣の金魚の帯で曳き初め

先月の写真で恐縮ですが、
#岩戸山の曳き初め後
浴衣姿の男子が写り込むのは貴重な瞬間。
観光客のオジサンがフレームインすると興ざめなんです。短パンや登山のような服装が多いので、祇園祭の雰囲気が台無しになります。皆さん、もっとオシャレして来てね。
#芭蕉文 の浴衣は #紫織庵 製。#山鉾の前で映える ので #祇園祭 に何度も着ています。少し飽きているにもかかわらず引っ張り出したのは、水玉が描かれていて、#金魚の帯 の前部分、#水泡 と呼応するから。
後ろのお太鼓、金魚です。子どものころ、デメキンとからかわれたことがあるので、絶対に金魚文には手を染めないつもりでした。が、誉田屋さんスタッフに説得されて、つい。藍の着物には合わせられます。

三宅一生さんのご冥福をお祈りします 1

ドイツ語のプリーツプリーズの本に、20世紀末の私のマンションの様子が掲載されています。カメラマンの都築響一さんの連載「着倒れ方丈記」プリーズプリーツ編で取材を受け、それが転載された形です。写真はママでなく、一部を掲載(母の形見となった桐たんす、削ったばかりでピカピカです)。
なで肩の私はキャスター時代、肩パットのある服を選んでいました。NHK「ナイトジャーナル」では、ティエリー・ミュグレーを購入していたのです。高島屋がライセンス契約をし、スーツなど日本人にあうデザインが豊富にあったころです。
その後、週一の関西テレビ通いと東南アジア取材モードになると、プリーズプリーツが主流になります。アジア圏では足を隠せるロングスカートが好ましいのと、移動にかさばらないのとで。(民放はクレジットが入るので、番組衣裳はスタイリストさんが借りてくれていたので)。
このプリーズプリーツ、東京では最初、クリエーター系女性の服で、どこか遠い感じでした。制服と呼びたくなるほど、パーティに行くと、お姉さまたちが黒のドレスに身をまとっていたのです。次第に色のバラエティが増え、私にも似合う色が制作されるようになって、この世界にはまっていきます。
東京の「よしおか」でも講座を持っていらした染司の吉岡幸雄先生には、「からだに優しいシルクを着るべき、アキオさんみたいに化繊を着たらあかん」と嫌味を言われていましたが、プリーズプリーツのワンピとカーデガンのコーデ・エクササイズは、和服の帯と着物のコーデの基礎になっています。
いまでも手元に残しているのに、なぜ着ないかって? お腹が出ているからです。プリーズプリーツは着る人のフォルムに忠実です。特にワンピを着ると、おなかの出っ張りが仇となるのでした。
ドイツ語版のこの本に登場する面白い柄、ほとんど私の手元にあるの、恐ろしいです。少し涼しくなったら、ご供養の意味でも、久しぶりに袖を通してみましょうか。おなかを引っ込める努力とともに。
表参道のお店でイッセイさんと交わした会話については、また改めて。
合掌