裏千家初釜式、白馬節会と七草粥

森口 とうろう★-150x150今年も裏千家の初釜式にお招きいただきました。立派なお席に加えていただき、感謝感謝です。

朝一で美容院に行き、初釜式のための着物モードに整え、まずは上賀茂神社へ。今年は森口華弘さんの訪問着を選びました。

七日は人日節句。年初めの節句としてお祝いされてきました。同時に除災もなされ、そのために七草粥を食すのです。上賀茂神社では、白馬節会(あおうまのせちえ)にも倣い、神前に七草粥をお供えして、神馬を神殿前にお連れして、馬には大豆が与えられました。白馬節会とは、年の始めに白馬(青馬)を見ると一年の邪気が祓われるという故事に則った宮中の儀式です。境内では七草粥がふるまわれ、私たちも白馬を拝みながら、いただきました。

こうして十分に身も清められ、裏千家の今日庵へ。大樋長左衛門さんと久しぶりにお話できて、嬉しかったです。べにや無何有のご主人ともご一緒しました。

そのあと、京都に来てから親しくなった方へ、出産のお祝いに伺いました。子育てママ用のフェイラーバッグとよだれかけ。我ながら、なかなか良いチョイスです。

 

舞楽「抜頭」

舞楽「抜頭」奉奏上賀茂神社では、橋殿にて、舞楽が奉納されました。これは「新年の祭事の締めくくりとして神様とともに行う饗宴の儀」というのようです。

1月5日 上賀茂神社3写真は神社の参集殿前にてにて。梅づくしにしました。

 

 

蹴鞠初めとサッカー

エジプト、シリア、イラク、それに中央アフリカ、スーダン・・・。中東とアフリカでは紛争が絶えないというのに、日本はなんと長閑な正月だろう。週明けには日経平均株価が数百円上がりそうな予感がする。

1月4日は下鴨神社で毎年、蹴鞠初めが行われる。昨年は雪が舞っていたが、今年はなんと暖かいのだろう。昨年の経験によれば、最初に行くと混んでいるので、人々が飽きて去ったころの後半戦に訪れることにした。

蹴鞠初め 選手とブラジルのボールだが、この暖かさ。人が減ることはなく、老若男女を問わず、カメラや携帯片手に撮影モード。後ろからでは手を伸ばすのがやっと。ピントをあわせるところまでは無理。まあ、雰囲気だけでも押さえて、立ち去ろうとしたころに、次回のブラジル大会で使われる公式ボールを用いて、蹴鞠にトライするとのアナウンス。人々がどっと押し寄せて、またまた私は群衆の後ろへ。

この計らいはブラジルのテレビ局の番組のため。蹴鞠はサッカーにつながることや、日本サッカー協会のマークが八咫烏であることにも関係している。ボールをたくみに扱っている青年は有名な選手らしい。アメリカのテレビ局が連れていたようだが、アナウンスからはよくわからなかった。

蹴鞠初め あまざけ@下鴨神社蹴鞠初め 選手とブラジルのボール2最後は甘酒で締め。ガールスカウトの女の子たちが甲斐甲斐しく働いていた。着物は赤地に黒と鼠の幾何学文様のお召。この後、八坂神社に行き、四条通の鞄屋で金色の馬のストラップを買ったところ、店員のお姉さんが「めずらしいね」と話しかけてきた。てっきり防寒用アザラシの草履のことかと思ったら、着物の文様のことだった。

 

 

 

 

 

街には人がいっぱい

DSCN0311神社仏閣がたくさんあって初詣に忙しい京都。家でお節料理を食べる人々とは別に、外で食事をする人も多いらしい。料亭や割烹は年末年始も営業していることに今年、気づいた。和久傳もそのひとつだ。

私は、お年賀を送るために出向いたのだが、次から次へと人々が訪れる。奥で夕食を取る人、2階で茶菓を楽しむ人、私と同じように、お年賀を買う人、などなど。和久傳クラスだと店のお正月ごしらえも見習うことが多い。とりあえず、餅花の下でパチリ。

和久傳 正月お食事にきたわけではないので、はんなりも大げさだし、さりとて正月なのだから地味な着物もそぐわない。というわけで、選んだのは、春の香りのする黄色地の紬ちりめん。帯は誉田屋さんのゴールドの倭布。軽くて締めやすい。帯揚と帯締は桜色。いまのところ、毎日きものを実践している。

 

新春のお慶びを申し上げます

宝船

無事に新年を迎えられたことに、感謝。今年も人類が試されそうな天変地異の予感はありますが、どうぞ皆様ご無事で、健やかな一年をお過ごしくださいますように。ご神酒

さて、初詣は大好きな上賀茂神社へ。お正月の間は、だれでも本殿まで近づいて参拝ができますので、おすすめです。中門に飾られたこの宝船の下を通ると、1年間無病息災、運気アップとの評判。

お神酒もふるまわれます。写真は、自宅用に購入したお神酒。金粉入り。枡の裏側には上賀茂神社の神文二葉葵が描かれています。正月立砂前

天気予報では、にわか雨とのこと。着物は訪問着や付け下げを避け、羽子板文の小紋を着用、松竹梅の帯を締めています。コートは元旦の今日が初お目見えです。ワインというより実際はチョコレート色なのですが、黒でない和装コートは貴重です。京都の寒さには、カシミア100でないと、耐えられません。ちなみに、草履もアザラシの毛皮。

朝から錦市場、そして除夜いろいろ

朝9時前に錦市場へ。まずは三木鶏卵の厚焼き玉子。すでに、ものすごい列。しばらくすると、整理券に変更。早い行って、よかったあ。除夜祭2

次に、つきたてのお餅を購入。京都の御雑煮には丸もち。鏡餅。星付さん4つ。星付さんとは、水回り用のお餅です。そのほか、かまぼこや野菜などを購入しつつ、つい鱧の天ぷらを食しました。このところ、錦市場にくるたび、食べてしまうのが、魚力さんの鱧の天ぷら。お持ち帰りには3本買わねばならないので、1本だけ立ち食い。観光客と同じパタンです。

中央郵便局で12月31日消印有効の書類を提出。そのあと、上賀茂神社に向かい、大祓と除夜祭に参列。写真が撮れるポジションではなかったのですが、概ね、夏越の祓と同じ。人形を一枚一枚、ならの小川に流します。16時はまだ明るいので、焚き木はありません。そのあと、除夜祭の神事。あたりは暗くなり、闇の中、二葉葵の提灯で足元を照らされながら、摂社末社に感謝のお参り。私たちも、そのあとに続きます。

朮火和久傳にて予約しておいた「春の肴」をピックアップ。家に持ち帰り、八坂さんへ朮詣り。昨年、夜中に出向いて、とんでもない目にあった私。23時になると、入場規制をかけられるのを知らなかったのです。四条通いっぱいに若者が集い、待っている間、長いし寒いし・・・。だから、今年は20時ころに向かったのでした。とはいえ、朮火を縄に移して持って帰るには家まで歩かねばならず、そのあとではお蕎麦屋さんが混むことは明白で、ならば先に年越しそばを食そうと南座に行ってみたけれど、すでにすごい列。途中の八雲で出雲そばをかも南蛮で。21時ころに再び境内へ行ってみると行列が。何に並んでいたかといえば、朮酒のふるまいで、これが美味。いわゆるお屠蘇のようで、どうやら、その配合に意味があるらしい。

朮火2帰宅後、火をどうにか縄からろうそくに移し、少しだけ紅白を見て、23時半過ぎに、六角堂で除夜の鐘つき。いきなり大粒の雨には閉口しつつ、これで厄落とし完了です。

今年は秋から風邪に悩まされました。新年は健やかに過ごせますように、と祈りつつ。

 

 

 

睡眠にまさる治療法なし

東京では耳鼻科を訪ね、おびただしい種類の薬を与えられた。朝一とか就寝前とか飲むタイミングは違うのだが、飲み分けのタイミングは、頭がウニになりそうなほど複雑だ。父が生前、いろいろな種類の薬を渡されていたが、どれほどわずらわしかったことか、今回、初めて理解できた気がする。

京都では前回と同じ呼吸器科の医師を訪ねた。血液検査の結果、抗生剤を点滴してもらうことになった。CPRの値で、菌と闘っていることが証明されたからだ。なにより、胃があれて嘔吐し、薬も流れてしまうなら、点滴のほうがありがたい。

嘔吐について尋ねた。やはりクラビットによる副作用なのだという。6日の夜はうかつにも、ワインを口にした。それまで酒を控えていたのに、油断したのだ。京都に医師によれば、お酒によって、副作用が出ることはあるのだという。薬局の説明書きには副作用としての嘔吐は言及されているが、飲酒を禁じるとは書いていなかった。この責任は大きいと私は考える。

それにしても、2か月で同じ症状を繰り返すなんて、抜本的に治す方法はないものかとも訊ねてみた。私の鼻が過敏になったか、最近の空気汚染に問題があるか、などなど。医師によれば、若くないのだから、十分な睡眠をとる以外に治癒の方法はないのだという。今日は原稿を書くつもりだと話せば、1時間ずつでもいいから間に睡眠をとることを勧められた。

で、横になったら、あらら、2時間経過。やはり睡眠が足りていなかったのかしらん。

 

真珠湾攻撃、そして久隔帖

書展2013昨夜、早々に眠ったのが功を奏し、少し楽になっている。楽書会書展へと向かう。

今年は最澄の「久隔帖」を臨書した。京都に来たら、どのお寺も天台宗で驚いた。比叡山の御膝下なのだから、当然といえば当然だが・・・。久隔帖は最澄から空海(体裁は弟子の泰範)に宛てた尺牘手紙。国宝。冒頭の「久隔清音」から「久隔帖」と呼ばれる。

昨日の体調では、和服を着る気力をもてるかどうか微妙だった。書展へは着物で行くと決めているのに、である。しかも、今年は仕立てたばかりの母のお召を着ようと張り切っていたのだ。赤いお召は洗い張りにした後、丸められた状態で、ガンガンの中で眠っていたものだ。赤は私の好みだが、この幾何学が初心者には難しい気がして、最近まで手を付けなかった。だが、この矢絣の襦袢を三越のセールで手に入れて、急きょ仕立てたくなったのである。矢絣

ところで、1941年12月8日は真珠湾攻撃の日。ハワイ時間では7日日曜日の未明。カリフォルニアでは朝9時55分だった。これを機に、西海岸の日系人の運命が大きく変わる。やがて収容所送りになるのだ。日米関係を知るうえでも、大国の思考回路を知るうえでも、日系人について私たちは知る必要がある。詳細は『スウィング・ジャパン:日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶』をご高覧くださいね。

鼻から気管支へ

未明に起きて、朝一番の新幹線で京都へ移動。富士山には少し雲がかかっていたのが残念。 二十四節気で、昨日は「大雪」。節気の初日は何か新しいことを始めるのにふさわしいのだが、鼻炎から気管支に菌が入って、咳こんで終わった一日。抗生剤のせいで胃があれたのか、昨夜は嘔吐して、最悪の事態。

京都では、東京からやってきた編集者と会う。しかし、鼻を襲っていた菌が気管支にやってきて、声が出ない。うまく話せない。寒気も覚える。家でおとなしくしたほうがよさそうだ。本当は石川九楊塾楽書会の書展に顔を出すつもりだったのだが。寝不足のまま新幹線に乗ったのが敗因。今日は十分な睡眠をとって、しかし、明日悪化していたらどうしようと不安でもある。