今週に入り、国際政治学者が異口同音にイラク情勢について、「ベトナム戦争」とか「泥沼化」というレトリックを用いて語り始めた。
「アメリカは引くに引けない事態になった。次に誰が政権をとっても、
解決の糸口がみつけられない辛い立場に立たされる」
―――そんなことは最初から予想できたでしょうに。なんでいまごろ?
ブッシュの仕掛けたイラク戦争を批判的に語るリベラル派の学者といえども、どこかで力で抑えられると信じていたところにも、アメリカ人の傲慢な目線を感じてしまう。学内だけでなく、テレビにコメンテーターとして登場する人々も、みな突然、「ベトナム化」を口にするようになった。
事の発端は、アメリカ軍「兵士」の逆さ吊り事件。ファルージャ籠城のきっかけになった、米国民間人4名の焼死体がさらされた事件である。あの写真が先週の木曜日、新聞の一面を飾ったことから、ワシントンでは人々が事態を深刻に受け止め始めたのだ。
そもそも、この戦争に大義はなく、民主化を謳うのであれば、イラクの研究を十分にしてから始めるのが筋だ。フセイン後のイラクについて、何のヴィジョンも持たずに戦争をしかけたブッシュ政権の愚かさのツケとしか言いようが無い。フセインを取り除いたイラクがカオスになるのは誰に目にも明らかで、かつてかの地の統治に梃子摺った仲良し同盟国のイギリス人からなぜ学んでおかなかったのか、その詰めの甘さがそのまま答として現れたのだと思う。
もっとも、ベトナム戦争についても、マクナマラが自身の回顧録で、ベトナムについての地域研究が役に立たなかった、と語っているように、国費をかけて研究したところで、肌の色が違う人間たちに対しての理解度はすこぶる低いのだろう。彼らの瞳には都合の悪いものは映らないようにできているのかもしれない。いや、あまりに大雑把で、肝心なことはザルの隙間から抜け落ちるのだろう。
相手の国も民族も理解できないのに民主化だなんて、傲慢以外の何といえばいいのだろう。フセインを悪者にするだけで、一人一人のことは何も見えていないのだ。いつも地球儀を眺めている彼らには、それは無理からぬこともしれない。ただ肉を鉄板で焼けばいいと考える大味な感性が、外交にも反映されてくるから怖い。
ネオコンの牙城PNACを訪れ、ゲイリー・シュミットと話したとき、中東の理解がとことんずれていて、会話がかみ合わない上、途中から先方が怒り出したのが印象的だった。
私がこう尋ねたからだ。
―――イスラームについて、勉強されたんですか。
ジョージタウン大学に一度、イラクの民主化推進グループがやってきたことがある。その部族長のカリスマ性のあること。あんなのがゴロゴロしていたら、よほど強いリーダーがいないと、あの国は束ねられないだろうと思う。アフガニスタンでも、カルザイの統治能力が早くも疑問視されている。国家建設がいかに大変なのかは、歴史が語っているはずなのだが。