ナイトジャーナル(NHK)

NHK の隠れた人気番組「ナイトジャーナル」のキャスターとして活躍。・・・

「人物ファイル94-95」で秋尾沙戸子を引くと、こんな書き出しで始まる。93年から放送された「ナイトジャーナル」は放送時間が23時20分から24時までと深く、視聴率も4パーセントを超えたのは数回で、いつもは視力検査に近い数字だった。時代の先端を行く現象の深層に迫ろうという番組で、文化面、社会面を掘り下げたテーマが中心だった。帰宅後、日々のニュースを知りたい人は筑紫哲也さんや桜井良子さんの出演される番組にチャネルを合わせていたのだと思う。

同じ時期に始まった「クローズアップ現代」は30分かけて1テーマ、しかし「ナイトジャーナル」は40分しかないのに2テーマ、それと書評・CD評も加わるという、コアな3テーマ(後半から2テーマに減った)に取り組む番組だった。また「クロ現」は対論でゲストと話を進められるのに対し、「ナイトジャーナル」には複数のゲストと男性キャスター、どちらの意見も引き出さなければならず、当時35歳の私には、すべてのテーマを理解していくのとあわせて難儀なことであった。

曜日替わりのキャスターは次のとおり。月曜日は民俗学者の大月隆寛さん、火曜日は詩人の林浩平さん、水曜日は宗教学者の島田裕巳さん、木曜日はデザイン評論家の柏木博さんだった。書評はノンフィクション作家の井田真木子さん、文芸評論家の安原顕さん、解剖学者の養老孟司さん、文芸評論家の高橋さん、CD評は中村とうようさん、萩原健太さん、石井寛さんがそれぞれ紹介していくださった。

それだけテーマがあるのだから、スタジオに来ていただいたゲストも多彩。大学の先生たちはもちろんのこと、佐高信さん、ピーコさん、大島渚さん、草間弥生さん、愛川欽也・うつみ宮土里夫妻。後にノンフィクション作家の先輩として親しくさせていただくようになる佐野眞一さんは「ナイトジャーナル」がテレビ初出演。それにピアニストのアシュケナージなどが海外アーティストがやってきて演奏を披露してくれた。

できれば番組終了後にいろいろお話もしたかったのだけれど、3つもテーマがあると、本番に突然やってきて去っていく方々も大勢いらした。それが心残りだ。

初期のころに「女性器をどう呼ぶか」というテーマがあり、ずいぶんと週刊誌をにぎわせたものだった。若いスタッフによるNHKなりのタブーに挑戦したわけだが、こうした冒険が上層部の怒りを買ったのかもしれない。1年で番組は終了してしまった。

「真夜中 のサウンドレター」(FM東京)

「23 年介護」という本の文庫化完成記念の食事会に私も参加させていただいた。本の著者は直木賞作家のねじめ正一さんである。

私のねじめさん歴はもう19年になるだろうか。FM東京の深夜番組「真夜中のサウンドレター」で共演して以来、ご近所づきあいのような、遠い深い親戚関係のような、不思議な絆で結ばれている。

その頃のねじめさんはまだ30代半ば、小説は手がけていない。現代詩の芥川賞であるH氏賞を受賞して、メディアの中で徐々に注目され始めた時だった。阿佐ヶ谷のホームで便器に腰掛けて詩を朗読する姿が写真誌の見開きを飾り、サングラスをかけた風貌も含めて話題の人であった。たしか筑紫哲也さんが編集長時代の『朝日ジャーナル』で「若者たちの神々」にも登場し、その活躍が期待されていた。

「お便りだけが頼りです」というねじめさんのナレーションでリスナーからのはがきを募る「真夜中のサウンドレター」は、聴取率こそ高くなかったが、コアなファンがついていた。何年も経ってから若いテレビのディレクター数人から「高校時代に」「浪人時代、勉強しながら」聞いていたと言われたことがある。番組を聴いたから業界入りしたとは思わないが、何か感性を刺激していたら、嬉しく思う。

80 年代半ばという時代を反映して、アイドル論を展開したり、ねじめさんが詩を朗読したり、少年時代の話をしたり・・・。思えば直木賞受賞作品「高円寺純情商店街」の原型がそこに詰まっていたのである。

何せ詩人だから、次々閃くたびに球があちこちに飛び交って、私はついていくのに必死。「アシストしないアシスタント」とねじめさんに言われたものだ。けれど、予定調和でない、その会話のやりとりが実は魅力だったのだと後から聞かされた。「ねじめさん」「もりもとさん(当時の私の苗字)」という距離のある呼びかけも新鮮だったのだろう。

先月、ねじめさんが阿佐ヶ谷で現代詩とジャズのセッションによるライブを開くというので馳せ参じ、久しぶりに詩の朗読を聞いた。直木賞も受賞され、すっかり大人になって、危なかったしさが消えてしまったねじめさん。詩の朗読にも円熟味を増して、年月の重みを感じずにはいられない。

詩は音にしてこそ生きるものだということを教えてくれたのは、ねじめさんだ。言葉が息づき、一人歩きする。映像が浮かんできて、時間の流れを共有してしまう。その生命力はライブを聴いて初めて実感でき、涙することさえある。

正直なところ、私はラジオで共演している間、

ねじめさんが言葉の選び方にどのくらい命を賭けているかを理解できていなかったと思う。それはスタッフも同じだった。私自身、それが少しわかったのは、番組終了の1年後、作詞を手がけることになった時である。

共同通信より配信2010年3月7日付地方紙掲載

特定の誰かを設定して「読んでくれますか?」と本を推薦する共同通信のシリーズ企画

【民主党議員へ】【中国人の思考回路見抜く】【三国志】

「僕たちチャイニーズが日本人をだますのなんて、赤子の手をひねるより簡単だよ。単純だから」。台湾の友人たちによくこう言われる。

彼らは小学校に上がる前すでに『三国志』を諳んじている。単なる音に過ぎなかった言葉は、大人になると意味を持ち、貴重な人生教訓に変わる。食うか食われるか。中華社会での駆け引きに大いに役立っているという。

二-三紀頃の中国は、漢が滅び、魏・呉・蜀への戦国時代。『三国志』はその乱世を生き抜いた英雄たちの処世術が詰まった物語である。

それを熟知しているのは大陸の中国人も同じだ。共産党幹部はもちろん、日本の観光地や繁華街に群がる若者にも、東京のマンションを買いあさる投資家にも、権謀術数がその細胞に浸透している。

東京で宝石を商うアフガン人が言う。「中国人は一筋縄ではいかないが、パタンがわかれば大胆で面白い」

米中首脳会議では、オバマ大統領もヒラリー国務長官も、孟子や孔子を引用して二国間の将来に準えたという。相手の癖(へき)を知らねば戦略は立てられない。あの米国でさえ努力している。

果たしてわが国政権与党の民主党議員らはどうか。小沢幹事長に従い胡錦涛主席と握手したくらいで有頂天になっている場合ではない。その無邪気な姿を見て、彼らが鼻先で笑っていることに気づいているのだろうか。

民主党議員には『三国志』を座右の書にして頂きたい。一度は読んだなどと言うことなかれ。共産党の権力闘争を勝ち抜いた彼らと付き合うには、一言一句、いまから暗記しても追いつかない。

まずは吉川英治氏の小説から始め、伊波律子氏による翻訳本へと進めばいい。中国人の思考回路を見抜く頭脳を鍛えることこそ、日本の安全保障につながると私は考えている。