2003年1 月26日掲載 若者が希望持つよう首相は生きざま示せ

 今年の新成人は 152万人。数の上では昨年と同じだが、彼らはメディアの中で特別視されてきた年代だ。西鉄バスジャック事件を起こした少年や「殺す経験をしたかった」と主婦を刺した愛知の少年と同い年。3年前、「理由なき犯罪」世代といわれた、あの「十七歳」たちである。 
 14日付「こちら特報部」では、彼らが世間の偏見の中で苦悩の日々を過ごしたことが読み取れる。事件が起こるたび、教師は「何を考えているのかわからない」と頭を抱え、親には「こんなになるなよ」と言われたという。「何かを『壊したい』と思っている人が周りにもいるのかと思うと怖かった」と打ち明ける女性の声や同世代の犯行に及んだ動機を自分なりに分析する青年たちの姿勢が痛々しい。
 当時、メディアではさまざまな形で少年たちの心の闇を解き明かそうとした。だが、そうした試みは社会全体を正すには至らなかった。結果的にメディアは「十七歳」への偏見を高める拡声器の役割を果たし、彼らを新しい差別の枠の中に追いこんでしまったのだ。その彼らが成人の日にこう語る。「善い悪いを自分で判断できる大人になりたい」「カッコいい人間になりたい」。カッコ良さとは「吸殻をゴミ箱に捨てるような人間」だという。
 一瞬、幼稚に響くこの発言は、既存の大人へのアンチテーゼである。要は「自分で責任をとる大人になりたい」と話しているのだ。私は健全な社会には「なりたい大人」が存在するものだと思っている。彼らから「目標となる人物」の名前が出ないのは、日本の大人がだらしない証拠だ。子供が大統領に憧れるアメリカや、ホテル王が目標だったりする中華社会の方がずっと前向きである。
 実際、10日付3面に掲載されたネットアンケートによれば、8割以上の新成人が「日本の未来は明るくない」と答え、「今の政治家たちじゃ無理」だと感じている。
 小泉総理はこの結果を真摯に受け止めるべきである。本来、国民が夢を見られるような国づくりをするのが総理大臣の仕事だ。混迷の時代、それには時間を要するというのなら、まずは総理の生き様で見せるべきだ。
 一時的にせよ、日本の若者たちの期待を集めたのは小泉総理ではなかったか。「改革」を声高に叫ぶ総理を、彼らは世の悪を裁いてくれる大岡越前と重ね合わせた。多くの小学生は「小泉さんのようになりたい」と憧れ、当時4歳だった私の姪も「小泉さんはカッコいい」と新聞に掲載された写真をスクラップしていたくらいだ。
 だが、その姪が正月に一言。「小泉さんはもう辞めるんでしょ」。幼児の嗅覚を侮ることなかれ。 
 薄っぺらいパフォーマンスはもう要らない。バラエティ番組に出るよりも、週に一度、テレビで政策について国民に語りかけることに意味がある。丸投げしても構わないから、すべての政策に自ら説明責任を負うことだ。万が一失敗したら、担当大臣に責任をとらせ、総理自らが誤りを認めて政策転換を宣言すればいい。
「この程度の約束を守らなかったのは大したことない」といった弁明は、子供の教育に悪影響を及ぼすだけだ。良策がなければ、潔い闘い方を見せて希望を与えるのが任ではないか。国民は総理自身が「痛みに耐えて頑張る」姿を待っている。

2002年 12月29日掲載

 今年1年の本紙紙面の中で最も違和感を抱いたのは、6月19日の社説である。ワールドカップ初戦でトルコに敗れた翌日のことだ。「トルシエ監督とその息子たちに『ありがとう』と言わせてほしい。ここまでやるとは思わなかった」
 本紙だけでなく、一般紙社説は申し合わせたように同じ内容に終始した。タイトルさえも横並びである。「よくやった、ありがとう」(朝日)「よくやった、みんなで拍手を」(毎日)「日本チームが元気をくれた」(読売)。
 見事なまでの絶賛の嵐だ。思いがけず自分の子供が優秀と知り、舞い上がっている親の心境を吐露しているようでもある。しかし、社説というのは、読者の感情をなぞって活字化するのが任ではない。老練な論説委員の目を通した冷静沈着な見解が求められる。苦言を呈してこそ、社説の醍醐味というものだ。
 せめて一紙くらい敗因の分析を試みても良かった。たかがサッカーの話とはいえまい。地方自治体の誘致合戦に始まり、チケット問題でも大騒ぎになった。一試合ごとの経済効果も桁外れ。国民的大イベントだったはずだ。最近の日本人は責任の追及が苦手だ。自分が責任をとらない。かといって、他人を批判することもない。みなで「いい人」でいることに安住している。
 ベスト16に進出できたのはトルシエ監督の功績が大きい。しかし、負けた段階では、その采配を問題視する冷静さを持つべきである。半年経って、監督自身はこう語った。「(トルコ戦では)他の選手を起用しても良かったのかもしれない」。
 日産のゴーン社長同様、監督も日本の救世主というわけではない。彼らは次の就職先への手土産として数字上の実績を上げるのが仕事なのだ。その目線なしに、彼らを万能の神のように称えるのは一面的で危険である。
 また、終わればすべて良しとする風潮もどうかと思う。スタジアムの状況、空席問題、誘致合戦、それJWOCという寄せ集め組織の脆弱さを検証し、次回へとつなげるべきだった。さらにいえば、W杯の問題で終らせず、韓国との比較を通して日本社会を考察することを私は一般紙に期待していた。
 経済危機の時もそうだったが、韓国政府が掲げる目標は明確だ。W杯を通して国際社会に韓国の回復を知らしめたい。日本にだけは負けたくない。人々は「ベスト16」という具体的な目標数値をイメージして応援した。
 他方、日本はなんとなく勝利を望んだだけだった。敗れた後も韓国を応援する自分たちを美しいとさえ感じたはずだ。勝利に執着しない謙虚さや曖昧さは日本のいいところでもあるが、政府の姿勢がそれで良かったのか。スタジアムの更衣室で裸の選手と抱き合い、はしゃいだだけの小泉総理に、なぜ批判の目が注がれないのか。
 日本政府も知恵を絞れば、W杯を景気回復の好機にできたはずだ。そうした声がメディアから上がらないのは、危機意識に欠けているとしか思えない。
 新聞が批判の精神を忘れたら終りだ。本紙は常に複眼的思考を持ち合わせ、流されやすい日本人に、意図的に「待った」をかけてほしい。別の角度から光をあてた社説にはっとさせられることを信じ、新年を迎えたい。

2002年12月1日掲載 新聞は反政権貫き 読者に思考させよ

 いまの日本に必要なのは「考える教育」だと私はかねて主張してきた。自分で考え、自分の言葉で表現し、相手を説得できるようにする。そして誤ったときには自ら責任をとることを教える。極論をいえば、小学校の低学年では、それを徹底させるだけでも十分なくらいだ。
 ところが先月14日に発表された教育基本法改正の中間報告を見て驚いた。「愛国・公共心」に基本理念を置いている。「個の尊重を強調するあまり『個と公』のバランスに欠け、倫理観も不足している」からだという。
 なるほど、最近の不可解な事件をみれば、若者は自己中心的で人との関係をうまく結べないと判断されても仕方ない。年配者が道徳心を植えつけたくなるのも理解できる。しかし、個の確立ができていないのに公共心を説いたところで、主体性のない人間を大量生産するだけだ。結果、独裁者にとって都合のいい社会ができあがる。
 今回の中間報告に対し、本紙も危機感を募らせた。「戦前の軍国主義から脱却して、一人一人のためにあるとして歩んできた戦後教育を、事実上転換させものだ」(11月15日付社会面)と解説。同日の社説ではこうも指摘している。
「憲法改正の前哨戦として、まず教育基本法から変えたいという政治的思惑が影を落としているのかもしれない」
 だとすれば、実に由々しき事態である。拉致問題を機に被害者意識を共有した日本社会には、いま不思議なナショナリズムが蔓延している。そこへ、この中間報告だ。さらには有事立法にメディア規制法。すでに国民には番号がついている。いつ戦争へ突入しても、おかしくないということだ。
 これが小泉改革だったのか、と疑いたくなる。しかし、竹中大臣の経済改革の果てに自己責任の時代が来るという。ならば、そこに対応できる強い個人を育てることが筋ではないのか。
 ワールドカップ開催中、六本木に繰り出した若者たちを観察し、私はこう印象を持った。幼稚―。何の目標も闘争心もなく、ただ皆と一緒に漂いたい。何か楽しいことを共有したい。その枠組みに収まっていればいい。異質人は受け付けない。「私に任せておけば安心だ」。そう言ってくれる人を待っている。
 小泉人気の理由がここにあると私は思う。23日、24日付の朝刊に小泉支持率のねじれ現象が載っていた。経済政策に期待はできないのに、支持率は高い。政策の是非よりも、すべてを一言で片づける総理のパフォーマンスの方が人々の心に浸透してしまうのである。
 だからこそ言いたい。
 新聞まで総理のイメージ戦略に寄り添っては駄目だ。野党が機能しない昨今、新聞が徹底的に反政権を貫いてこそ、ようやくバランスがとれるのではないか。
 総理の言葉の垂れ流しではなく、本紙ならではの解釈を示してこそ、新聞の使命を果たせるというものだ。考える教育を受けてこなかった日本人に「考える習慣」を提供する紙面を本紙に望みたい。

2002年11月3日掲載 竹中案が呼び出す “未来図”の検証を

 竹中大臣は日本をどうしたいのか。
 経済政策でアメリカ型社会に転換するのが彼の改革だ。急激な変化でどれほど多くの地が流れようと総理ともどもお構いなし。競争原理を採り入れて、極端な富の集中をもたらし、経済格差を生み出すことが彼の目指す社会である。
 新聞はこのことをはっきり書くべきだ。本紙10月12日、25日付の読者の声が示すように、中小企業の経営者は、この危機感を肌で感じているが、多くの人々は、不良債権処理の加速こそが日本を救うと思い込んでいる。
 象徴的な20代男性のコメントが25日付朝日新聞に載っていた。
 「バブル時代に踊った中高年世代が痛みを甘受すべき。若い世代にツケを回すな。小手先のデフレ回避策はやめてほしい」
 まさに小泉政権の申し子だ。大企業をつぶした先にばら色の人生があると信じている。自分が将来、大多数の貧乏組に入るとは想像だにしていない。
 実は彼のコメントは誤解がある。「バブル崩壊の後始末はあらかた終了。いまの不良債権はその後のデフレ侵攻と景気低迷が主因だ」。本紙でも12付け社説を孟、随所にそう書かれているが、彼に届いてはいない。
 経済は理屈である。生活にどうかかわるかの具体例がなければ、苦手な読者は読み飛ばす。見出しやチャートを抽出し、自分に当てはめて解釈する。無関心な人をひきつける紙面づくりが必要だ。
 勢力関係を強調すれば読者の関心を集めるが、本質から目をそらす危険がある。竹中案の紆余曲折がいい例だ。銀行と守旧派の反対した段階で、内容は問われることなく、「竹中大臣は正しい人」になってしまった。
 総合デフレ対策案を受けた31日付本紙はもっとひどい。与党に反対された竹中氏こそが被害者で、当初案からの変更が日本の大損失のように書かれている。デフレ対策の是非はどこへやら。「不良債権処理加速信仰」に本紙まではまってしまったかのようだ。これでは前出の若者と同じである。
 いま紙面に重要なのは竹中案のシミュレーションだ。不良債権処理のコストを試算して読者に示してほしい。税金がいくら必要なのか。われわれの生活はどう変わるのか。
 巷でささやかれるのは、アメリカ型査定を経て日本のメガバンクがつぶれ、日本人の血税で補填したところを外資が安く買うという。だとすれば、長銀の例を挙げ、徹底検証すべきである。大企業の倒産の果てに3百万人の失業者が生まれるそうだ。その後の生活も想定してほしい。年収2百万のパートさえ確保が大変だと聞く。
 政治的駆け引きはどうでもいい。想定しうる未来図を示して、読者が考える材料を提供してほしいのだ。結果、竹中案を支持するのは構わない。一度貧乏になれば日本は生まれ変わる。そう信じる輩もいるだろう。絶対に避けたいのは、無知が故に不本意な社会が出来上がることである。
 拉致問題のようにメディアが執拗にキャンペーンを張れば、誰もが経済に関心を持つ。川底で流れを見据える斬新な企画を、本紙に期待する。

2002年10月6日掲載 拉致で読み誤った 外務省とマスコミ

 総理が訪朝を決めてからの一月余り、日朝交渉の話題が紙面を埋め尽くした。当初、拉致被害者の生存については誰もが楽観主義に陥っていた。だが、死亡説が伝えられて以降、小出しにされる不可解な情報に、ジェットコースターのように揺れ動いている。
 拉致被害者の家族の感情をマスコミが必要以上に煽っているとする批判もある。たしかに本紙でも訪朝当日の夕刊で早々と「不明の三人帰国で調整」書き、家族に過度の期待を与えている。
 しかし、問題はこうした事態を予測できなかった官邸と外務省にある。交渉過程も、拉致被害者にまつわる報告も、ありとあらゆる想定がなされるべきだった。その準備不足が家族への不誠実な発表となり、日本社会全体を混乱させている。相手が独裁国家ゆえの情報不足とは言わせない。訪朝前の本紙には、すでにその材料が掲載されているからだ。
 9月6日付「こちら特報部」では、過去の謝罪例を紹介。1968年、朴韓国元大統領を誘拐しようとした青瓦襲撃事件について、4年後に韓国側に謝罪したとある。米中接近を受け、韓国との対話路線を強いられたためだ。今回もアメリカが「ならず者国家」と呼んだことが、暗黙の圧力となった。当然、今回の謝罪も予測の範囲だ。
 金正日は拉致を認めながら、自らの関与を否定した。同じ言い訳を当時、彼の父が“口頭”で行なっている。「申し訳なかった。内部の左傾妄動分子の暴走で、私の意思ではなかった」。これが国際社会で追いつめられた時の「金王朝」外交の常套手段であるとなぜ判断できなかったのか。拉致謝罪を宣言に入れるべきではあったが、せめて覚書を添えるよう要求する準備くらいはできたはずだ。
 もっとも、訪朝前日の社説で「毅然とした態度で」とだけ謳った点では、本紙も読みが甘かったといえる。だからとって、外交のプロがメディアと同レベルでは困る。外務省の存在意義が問われよう。
 折しも今年は日中国交回復30周年。先月末には数々の式典が催された。私も北京に滞在、ある出版記念会に出席した。敗戦直後、日本に戻らず、中国建国のために尽力した日本人が大勢いた。『友誼鋳春秋』というタイトルのこの本は彼らの物語をまとめたものである。
 書籍にすることを提案したのは中国の元外交官だ。日本から受けた傷はあるが、「中日両国人民は世々代々、仲良くすべし」。周恩来のこの言葉を胸に、彼は日本赴任中から友好に心砕いたという。
 総理も外務省も、北朝鮮との交渉を第二の日中国交正常化と捉えている節がある。だが、当時の中国には周恩来という壮大な世界観を持ちあわせた指導者が存在したことを忘れてはならない。手放しで誉めるつもりはないが、祖国の展望を見据えていたという点は評価してもいいだろう。
 これまでも本紙で日中友好30年の特集記事が数々あった。次は国交回復の経緯を掘り下げてはどうか。歴史的背景や国家体制、当時の世界情勢から、日朝関係との徹底比較をしてほしい。外交とは何か。外務省解体論が囁かれる中、これを転機とすべきだ。

2002年9月8日掲載  続く企業の不祥事 政官業の癒着突け

 「次世代を育てたい」。途上国を取材すると、知識人は口を揃えてそう言う。国の発展には教育が不可欠と、彼らは身銭を削って行動を起こす。それを受け、南アで開かれたサミットで、小泉総理は教育支援に2千5百億円を約束した。しかし、早急に優秀な次世代を育てなければいけないのは、むしろわが国だ。
 嘘つき、優柔不断、責任転嫁。豊かさに胡座をかいて、日本のモラルはどこへ消えたのか。企業人も官僚も政治家も、自らの罪の深さを自覚すべきだ。大人が手本にならない国で、子供たちにどんなを描けというのだ。 日ハムの牛肉偽装問題に続いて、東電の原発トラブル隠し。業界トップ企業でなぜ不祥事が続くのか。思い返せば去年も一昨年も同様な事件があった。悪習ばかりが受け継がれるのは、もはや体質か。
その仕組みと危うさを再検証する必要がある。
 歴代の4社長を含む経営陣が5日間で辞任。
東電の対応は迅速だった。皮肉にも、幾多の事故の経験から危機管理マニュアルが存在していた。しかし「素早い辞任 遅い全容解明」(3日付25面)では困る。メディアは追及の手を緩めてはならない。
 その点、日ハムは対照的だ。隠蔽工作の発覚から経営者の責任の取り方に至るまで、情勢が二転三転した。その迷走ぶりを連日報道するだけで、見えてきたものがたくさんある。同族企業の一族温存体質、ハム・ソー組合と農水省との癒着などだ。
 8月の紙面では、各種、図表が役に立った。BSE対策の補助金申請と支払の流れ、偽装牛肉をめぐる動き。日ハムの歴史や組織の構図も、図表を通して理解できた。だが、もうひとつ、農水省の組織図公開にまで踏み込むべきだった。
 農水省の罪は深い。偽装を招く隙を与えた買いとり制度や検品のやり方こそが問題だった。さらに監督責任。日ハムを非難し被害者面する武部農水大臣は、その感覚を疑われる。 8月8日付と14日付の「こちら特報部」では、そうした省庁の不手際、天下り先への遠慮などを指摘している。また21日付本紙で佐高信氏がコメントしているように、族議員の罪も見逃してはならない。不祥事が発覚した企業を一つひとつ検証することも大事だが、社内に聖域を生み出す政官との癒着にこそ、メディアは斬り込む必要がある。
 企業は宗教教団に似ている。カリスマ経営者のもとでは愛社精神が育ちやすい。業績を伸ばす活力も、ひとつ間違えれば隠蔽工作さえ正当化してしまう。監視も含め、冷静な目を持つことだ。今回、日ハムが策を講じたように、外の血を入れることも良策だろう。
 では省庁はどうするか。いっそ東京新聞で内部告発奨励キャンペーンを展開してはどうか。それを機に徹底した調査報道を行なう。明日につながる改革を紙面で提案すればいい。構造改革、初めの一歩はメディアから。メディアの真価が問われるところだ。
 次世代を育てることもしていないのに、負の遺産だけを増やしてはいけない。ただでさえ、「戦争責任」を残しているのだから。

2002年8 月11日掲載 住基ネットの危険性 些細な兆候見逃すな

 国の仕組みを変えようと時に、国民に説明責任を負うのは政府である。だが、この国の政府は説明が常にあいまいで、真の狙いは別のところにあるのではと疑いたくなる。しかも公務員による不祥事が頻発する中でのことだ。彼らの「モラル」を全面的に信用しろというのは、土台無理な話である。
 5日に稼動した「住基ネット」について、問題点の具体的な検証が連日報じられている。
6日付特報面には、個人的恨みから他の職員の情報にアクセスしていた例や、著名人の所得を興味本位で見ていた税務担当者のいい訳が取り上げられている。また、デスクメモでは、市役所職員に依頼して個人データをとったという過去を自ら白状している。
 片山総務相によれば公務員は「善意の人」だそうだ。何の説得力もない空しい言葉だ。たとえ職員が善意のつもりで流した情報でも、いじめやストーカー行為、果ては犯罪に悪用される可能性も否定できない。「善意の人」かどうかなど、全くどうでもいい話である。「人間のやることだから」と開き直る小泉首相に至っては、話しにもならない。
 本来、このシステムは「個人情報保護法」によって、厳しく規制されるべきものだった。しかし同法は多くの反対の声にさらされ先送り。にもかかわらず官邸はシステムのみを稼動した。先月来、本紙社会面のシリーズ「プライバシー危機」ではその勇み足を浮き彫りにしている。「急ぐのは自治体のため」という政府の矛盾を暴き、さらに某議員の「官僚にだまされた」という声など、ドタバタ劇を伝えている。
 だが、メディアはそうした特定の人物に有利な法案を生み出した日本社会の構造にまで切り込むべきだ。感情を煽るだけで本質を突かないのであれば、何も論じていないに等しい。総務相や首相の弁と同じである。
 「住基ネット」の危険性の検証はあえてここでは省くが、実は三年前、改正住民基本台帳法が成立する前後にメディアは既にその問題を報じている。しかし、市民の耳に届いていたとは言いがたい。本紙では、記事以外に社説やコラムなどでも集中的に取り上げていた。政治に関心が薄いのであればなおさら、執拗にキャンペーンを張ってでも主張し続ける必要があった。それこそがメディアの使命だ。
 既に稼動している以上、もはや歯止めを万全にする策を練るしかない。最低限、アクセスした履歴を保存し、本人が知る権利を保障すべきだ。また、情報を流した職員は懲戒免職とする罰則規定、組織ぐるみの犯罪を監視できる第三者機関も至急設けねばならない。
 長い間、権威主義体制の国々を歩いてきた私には、番号制導入にぬぐい難い抵抗感がある。旧ソ連・東欧など共産圏では、国民がロボットのように扱われてきた。盗聴や密告による監視社会。個人の尊厳を無視し、番号で管理する目線。日本の為政者も同じ目線を持てば、独裁国家への道を失踪する危うさを孕む。
 それを食い止められるのはメディアしかない。是正できることは一刻も早く訴え、同時に些細な兆候も見逃してはならない。

2002年7 月14日掲載 田中知事対県議会 判断材料をもっと

 田中康夫知事の不信任案が長野県議で可決された。就任当初は過剰なほど知事を持ち上げたマスコミも、今回は議会と知事、どちらに軍配をあげていいのか決めあぐねている。問題の本質がどこにあるのか見えにくく、端から見ていると、子供の喧嘩にしか映らない。
 6日付東京新聞朝刊3面「核心」には、不信任の背景がコンパクトに記されている。知事の軌跡がカラー化されているのがわかりやすい。県民との「車座集会」。ガラス張りの知事室。「脱・記者クラブ」宣言。そして問題の「脱ダム」宣言。知事の奮闘がうかがえる上、議会との確執が時系列で見て取れる。
 議員の肉声も拾っている。「知事は独善的。
県政を担う資質もない」「挑発的」「ダム問題は象徴にすぎず、理屈じゃない」等々。
 同じような声をどこかで聞いた。一年前訪れたインドネシアの議会でだった。32年間に及ぶ独裁政権が終わり、民主主義が始まったばかり。政治は混乱し、ついにはワヒド前大統領が罷免された。
 表向きには大統領資金疑惑が理由だが、議員の不満はきわめて感情的だった。一方のワヒドは議会を幼稚園レベルと発言し、閣僚の更迭を繰り返した。政策は二の次、両者は互いを口汚く罵った。
 40年間で2人の知事しか存在しなかったという点でも、長野県は同国と似ているのかもしれない。政治が成熟していないのだ。
 9日付「こちら特報部」は県議60人のうち3割強が建設業に関係していると指摘。県庁・県議・業者の濃密なトライアングルが出来上がっていたという。「脱ダム宣言」がそこにひびを入れたと評価をしている。
 たしかに利権の構図を浮き彫りにするのに田中氏の果たした功績は大きい。だが、そこには「大衆政治家」の危うさが存在することを見逃してはいけない。環境破壊や公共事業を真っ向から否定する公約は、選挙民にとっても聞こえがいい。反対派と賛成派。二項対立を作り上げ、抵抗勢力を誇張する。マスコミもそこに乗っかったのではなかったか。結果、支持率を上げるのだが、政争に無駄なエネルギーを費やすばかり。政治が停滞してしまうことも多い。
「大衆政治家」にこそ地道な努力と実力が必要だ。斬新なアイデアを提示すると同時に、人を動かす能力も求められる。県民との対話も大切だが、議会とのコミュニケーションも疎かにできないはずだ。利権に執着する議員と闘うのであればなおのこと、知事自らがストイックな姿勢を見せなければならなかった。知事室で女性を膝の上に乗せて撮影する行為も、県政を任せた知事としては品がないと批判されても仕方ない。
 かくなる上は知事選と県議選のダブル選で県民の民意を問うべきだ。その際、争点を明示するのはメディアの役割だ。感情的対立を煽るばかりでなく、そもそもダムは必要か否か。長野県民にとっての真の利益は何か。専門家による議論も不可欠だ。検証すべきことは多くあるはずだが、いまのところ有権者には届いていない。

『アエラ』2002 年6月10日号掲載

「万里の長城」見える家

中国のマイホームブームを
引っ張る女性企業家
「万里の長城」を眺められる別荘群が北京郊外に生まれる。
仕掛け人は 36歳の女性。中国を大胆に変貌させている。

ジャーナリスト秋尾沙戸子

 全長6千キロ。「月から見える唯一の建造物」と言われる万里の長城。その歴史的大城壁を部屋で寛ぎながら我が物にしてしまおうという一大プロジェクトが、今、中国で進んでいる。
 北京市郊外、長城から東北へ1キロほど行った渓谷に、ギャラリーのように一戸建ての住居群を建設するというものだ。
「個性的な別荘を建てるという構想は、以前から温めていました。万里の長城わきの土地については、ゴルフ場を所有していた人から教えてもらったのです」
 こう語るのは敏腕不動産ディベロッパーとして知られる張欣(36歳)だ。中国の人々に新しいライフスタイルを提案することに生きがいを見いだしているのだという。

山頂に威風誇る長城

 別荘群は、最低でも1億円なのに、完成前から問い合わせが殺到した。長城が一望出来るということに加え、アジアの若手建築家たちに競わせるという発想も話題を呼んでいる。中国、香港、台湾、韓国、タイ、シンガポール、そして日本からも3名が参加している。その一人、隈研吾は言う。
「中国の現代美術には独自の哲学があり、ヨーロッパ中心主義に傾くこともありません。一般に高度成長期には『単純な近代』に走りがちなのですが、彼らはもっと大人で、手強いと感じています」
 東南アジアの建築家による作品はガラスやコンクリートを素材にした近代的なものが多い。一方、レトロ志向を現代風にアレンジしているのは、中国と日本の建築家だ。中国人建築家は版築という伝統的土壁を用い、日本の隈は竹をモチーフに仕上げている。現地で人気が高いのは、後者の2作品だ。そして、いずれ劣らぬ個性的な部屋からは、緑深い山頂に威風を誇る万里の長城がよく見える。
 匈奴の攻撃から守るため建てられた長城を眺め、歴史へ思いを馳せる――。この壮大な発想を具現化した張欣が、初めて北京っ子たちを驚かせたのは、97年に手がけた高層マンション群「現代城」の建設だ。
 北京は今、空前の「買房熱(マイファンラー)」、つまりマンションブームに包まれているのだ。近代的なマンションで暮らすことが、北京市民にとってのステータスなのである。張欣の手による「現代城」は、まさにその理想形といえた。
 天安門広場にほど近い工場跡地に建てられたこのマンション群はコンクリート壁に青、黄、赤、緑、オレンジの彩りと大きな窓が特徴だ。32階建てが5棟並ぶ様は圧巻である。敷地面積は平均180㎡。売り出された225部屋は即、完売した。張欣は言う。
「人々が豊かになり自由化が進んでも、北京には住みたい家がなかった。だから、自らこの物件を計画しました」
 v現在、中国は政府あげての都市作りに邁進中だ。とりわけ2008年のオリンピック開催を勝ち取った北京は、猛スピードで変貌し続ける。WTO加盟がそれに拍車をかけた。高速道路をはじめ、市内の道路網は、生命力を持った木の根のように広がる。古くからある文化施設や学校は郊外に移され、代わって摩天楼のように立ち現れたのは、近代的ビル群だった。

中国は都市づくりの旬

「都市にも青春時代がある。パリは19世紀、ニューヨークは20世紀前半、東京は20世紀後半にそれを経験した。北京と上海はこれから。21世紀を投影した都市作りの舞台は中国です」
 と隈は分析する。
 「買房熱」を支えるのは、急激な経済発展だ。富裕層に加えて中間層が育ちつつある。IT関連企業のサラリーマンならは15万円から30万円程度の月給を受け取っている。民間企業の経営者ともなれば、その3倍稼いでいても不思議ではない。「現代城」の購入者も、そうした人々だった。
 中国の住宅は長い間、国営企業に属していたが、97年から国営アパートの国民への払い下げが行われた。たとえば2人合わせての党歴が長い夫婦の場合、市価の1割程度で購入できた。さらに同じ年、融資に関する規制緩和が行われた。これにより、人々は土地や住宅を抵当に入れ、ローンを組むことが可能になった。ディベロッパーも一層開発の手を広げていった。
 経済発展とともに成長してきた中間層は、お仕着せの内装では満足しないまでになっていく。張欣はそこに目をつけた。
「人々の想像力は限られています。そこで、私はそれまで国営アパートしかイメージできなかった北京の人々に、家具や内装の見本をカタログにして、具体的に提示したのです」
「現代城」には「箱」だけ買って内装は自分の好みに選べるという「新しさ」があった。払い下げられた国営アパートはいずれをとっても狭くて画一的、個性など皆無。平等こそが共産中国のコンセプトだったからだ。ワンランク上のライフスタイルを、内装の個性で証明できる「現代城」は、まさにそこをくすぐったわけである。そんな「差別化」の究極に位置するのが、万里の長城が見える別荘ということになる。
 張欣の両親はビルマ生まれの華人である。東南アジアで起こった反共運動の嵐の中、中国に渡り、結婚した。そして、張欣が生まれた翌年から、文化大革命が始まる。外国向け出版の公社に勤めていた両親は、セクトの違いから離婚。母は村のキャンプで再教育を受けることになったが、外国生まれだったため娘を連れ、香港に渡ることができた。
「香港は大嫌いでした。昼間は蒸し暑い家電メーカーの工場で働き、
夜は学校に通った。自分の食いぶちを得るためとはいえ、工場では機械のコマとして働かされた」
 そんなある日、アメリカに移住した幼なじみが家に遊びにきた。「北京では同じように貧しかった彼が、いい服を着て、英語を流暢に話す。とても眩しく見えた。豊かさとは何かと考えました」

愛国心で「市場開放を」

 アメリカへと夢が広がった。しかし、縁故を持たない張欣が米国ビザを取得することは至難の業であった。代わりに統治国イギリスへ渡ることを決意する。5年間働いた香港から渡ったロンドンでは、奨学金を得るため必死で勉強した。ケンブリッジ大学に入り、大学院に進学して経済学で修士号を取得した。そして名門投資銀行ゴールドマン・サックスに就職する。
「その頃も、いつも中国のことばかり考えていました。パスポートの国籍は香港ですが、心は中国共産党にあったのです」
 4年間、世界各地を飛び回り、投資の対象を捜して歩いた。華々しい経歴を重ねながらも、彼女の中では、中国への愛国心が膨らむばかりだった。そして89 年、天安門事件が起き、彼女は新たな夢を抱き、祖国へ戻った。
 中国を市場開放したい――。長年の理想の発露をそう見出し、中国企業の民営化を手がけるベアリング社に移籍する。94年、すでに幅広く中国本土の開発を手がけていた今の夫と結婚。夫婦で新たに「紅石社」を設立した。中国を豊かにしたいという張欣の夢が、ここから実現していった。
「現代城」マンションで成功を収めた張欣は、97年の融資の自由化を機に、二つの大規模プロジェクトを始めている。万里の長城プロジェクトと、もうひとつは北京市のダウンタウンに建設した「SOHO・ニュータウン」だった
「SOHO(スモールオフィス・ホームオフィス)」とは、自宅にいながらにして仕事ができる居住空間のことである。このコンセプトもまた、中国では初めてだった。
「当初は早すぎると随分反対されながら推し進めたので、正直、不安でした。ですから売り出しの朝、鈴なりの行列を見たときには飛び上がって喜びました」
 張欣は中国でのビジネスについて、旧態依然とした体質との戦いに、最もエネルギーが費やされると話す。
「苦労は二つ。まずは金策です。国内で投資家を捜すのが難しかった。いまはシンガポール政府とプロジェクトを進めています。次に官僚主義の壁。縦割り行政の中で立場の違う人々を説得し、コンセンサスを得る作業には、心底骨が折れます」

NYで上場第一号に

 隈はディベロッパーとしての張欣の将来性をこう評価する。
「彼女は現代美術が資本主義の先端と接点を持ちうる、すなわち国際市場で勝負する武器になることに気づいているのが新しい。先日もアメリカの美術評論家を北京に招いて、例の別荘も見せている。バブル期の日本のディベロッパーには持てなかった視点ですね」
 張欣は昨年、新たなSOHOプロジェクトをスタートさせた。北京市民の「買房熱」をますますあおりつつ、さらに万里の長城プロジェクトなどの別荘建築で、中国人の「住」に対する意識をリードしていく。また一方で、中国をグローバルスタンダードのなかで外国に認めさせる努力も忘れない。
「紅石社」はニューヨーク証券取引所での上場を準備中だ。それを果たせば、純粋な中国民間企業では一番乗りになる。 (文中敬称略)

オイジョン(おかあさん)

作品紹介

オイジョン(おかあさん)2001年 / 76分

シナリオ・監督:ズルフィカル・ムサコフ、バハディール・アデュロフ

出演:秋尾沙戸子、ファランギス・ジャモルハノヴァ、青島健太、バハロム・マトジョノフ

解説:ウズベキスタン西部、美しいモスクで知られるシルクロードの街サマルカンドに、母を失ったひとりの少女がいた。一方、東京には不妊治療の末、子供が生めないと医師から告げられた女性がいた。この二人が織り成す不思議な縁と国境を越えた母娘愛。我々には現実離れしてみえる作品だが、ロシアの批評家の間では「現代のおとぎ話」として賞賛された。2001年キノショック映画祭で審査員特別賞を受賞。