真珠湾攻撃、そして久隔帖

書展2013昨夜、早々に眠ったのが功を奏し、少し楽になっている。楽書会書展へと向かう。

今年は最澄の「久隔帖」を臨書した。京都に来たら、どのお寺も天台宗で驚いた。比叡山の御膝下なのだから、当然といえば当然だが・・・。久隔帖は最澄から空海(体裁は弟子の泰範)に宛てた尺牘手紙。国宝。冒頭の「久隔清音」から「久隔帖」と呼ばれる。

昨日の体調では、和服を着る気力をもてるかどうか微妙だった。書展へは着物で行くと決めているのに、である。しかも、今年は仕立てたばかりの母のお召を着ようと張り切っていたのだ。赤いお召は洗い張りにした後、丸められた状態で、ガンガンの中で眠っていたものだ。赤は私の好みだが、この幾何学が初心者には難しい気がして、最近まで手を付けなかった。だが、この矢絣の襦袢を三越のセールで手に入れて、急きょ仕立てたくなったのである。矢絣

ところで、1941年12月8日は真珠湾攻撃の日。ハワイ時間では7日日曜日の未明。カリフォルニアでは朝9時55分だった。これを機に、西海岸の日系人の運命が大きく変わる。やがて収容所送りになるのだ。日米関係を知るうえでも、大国の思考回路を知るうえでも、日系人について私たちは知る必要がある。詳細は『スウィング・ジャパン:日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶』をご高覧くださいね。