スハルト札の価値

旧札が使えないからと中央銀行であるインドネシア銀行に出向いたのは二度目。昨年は空港に着いた途端、ルピア専用財布に入っていたルピア札が使えないと言われ、あわてて日本円を両替した。そして、インドネシア銀行に出かけたというわけだ。今回は、過去に両替して、封筒に入れたまま引き出しに入れていた分を持ってきた。 

職員の人懐っこさに驚く。使い古しを持ってくるローカルと違って、スハルトのピン札を持ってきたりするのだから、めずらしいのだろう。皆、仕事を止めて寄ってくる。日本人とわかると、なお熱心だ。何歳か。結婚しているのか。ジャカルタでは一人か。質問攻めに合う。日銀では考えられない光景ではないだろうか。 

現地では職員が寄ってきて、あれよあれよと作業が進み、逡巡している間もなく両替してしまったのだが、ピンのスハルト札は残しておいて、10年後に古銭屋に持っていくほうが良かったかも、と少し後悔した。事務的に裁断されるより、後にスハルトが再評価されたとき、インドネシアの人々が懐かしむことに意味があったやもしれぬ。スハルトの罪も大きいが、功も半端ではない。17日の独立記念日にインドネシア共和国の65年の歴史がテレビでフラッシュバックするのを見ながら、ふとそう思った。 

注)写真は19日の17時まで限定のハニカムブログにアップしています。その後、こちらに追加で掲載予定。