スーチーさんに思う

ビルマのアウンサン・スー・チーさんが来日。龍谷大学での名誉博士号授与式に出向いた。

私自身、午前中は大阪で仕事があった。その間、彼女は京大、裏千家今日庵で過ごしていた。全体にスケジュールが押していたのと出迎えた学生たちとの触れ合いに時間を費やし、予定されていた講演は短いものとなった。仏教を通した民主化がテーマだったので、もしかしたら、最初から簡単なものしか用意していなかったかもしれない。

私が彼女に会ったのは1996年初め。独立記念日に彼女の自宅で開かれる野党NLDの集会にもぐりこんだところから始まる。当時は軟禁状態だったので、そこに至るまでも書けば長い話だが、ビルマの党員のふりをして中ではまず息子と仲良くなり、つないでもらったのだった。その日は熱があるとのことで、短い会話にとどまったのだが、それでも彼女の人となりは伝わった。女性としては十分すぎる魅力がある。

最近のスーチーさんを見ていると、ビルマ人というよりイギリス人かな、と思う瞬間が多くある。留学だけでは身につかない何かがある。軟禁状態にあったとはいえ、これまでの生活費や活動資金など、英米からの援助が大きかったと私は推察している。

自宅は豪邸で、中で党大会ができるほどの広さがあった。当時インドネシア民主化のシンボルだったメガワティさんの自宅よりはるかに広いと記憶している。もっとも、先にスーチーさんに会っているので、その記憶もアテにならないのだが。

民主化のシンボルから大統領になるまでの道のりは長い。インドネシアはスハルト政権崩壊後の政治闘争の中でメガワティさんが大統領の座についた。軍事政権を残したまま民主化が始まったビルマでは、いきなりスーチーさんがトップには立つことは難しい。

彼女に信念はあるが、政治闘争を勝ち抜く力や統治能力は別物である。だが、ビルマが不安定であることはまた、外から関与しやすく、英米の望むところではある。彼女が大統領になる日が来るとすれば、英米の力が強く及んだ時だと考えていいだろう。