何に違和感を覚えるかといって、小沢一郎という政治家の存在が、代表選のたびに注目を浴びることである。候補者たちも小沢氏を無視できないところが腹立たしい。
政治家個人の怨念が政策に反映されることは万国共通である。アメリカなどは外交にそれが現れることもある。だが、小沢氏については実にヘンなのだ。選挙というパワーゲームになると俄然元気になるのである。彼にしてみれば恨み辛みはいろいろあろう。だが、矢面に立つのではなく、裏工作にのみ燃えるのでは、あまりに小さい。
そもそも、岩手出身の小沢氏が、東日本大震災で何もしなかったことに私は怒っている。未曾有の危機の舞台が自分の地元だというのに、復興の旗振り役にならなかったではないか。あのとき、小沢氏が先頭に立ち、仕切ってくれれば、国民のストレスは軽減されたはずなのだ。小沢氏の求心力は大いに増したはずだ。国民にわかりやすく仕事をしてくれれば、少々怪しい献金問題も、世論は許し、かつ小沢氏に順風となったと思うのだ。
もっとも、小沢氏には日本への愛国心や日本国民への思いはないのかもしれない。彼は誰の利益のために政治家を続けているのか。彼の背後にいる力は何なのか。小沢氏が東北復興のために立ち上がらなかった現実をまのあたりにして、ついこんな風に疑ってしまう私である。