オレンジと橙の間

朝日が昇る前、最もエネルギーが得られる。窓を全開にして外気を取り入れつつ、掃除をするといいよ。そうある人に教えられたが、掃除好きではない私は、窓を開けるのが精一杯である。

ある朝、暗い中、散歩に出てみた。エネルギーを浴びるなら、その時間帯に歩くのがベストに思えたからだ。夜の続きと思えるのに、なんとなく新しいことが始まりそうな予感がする。ちょっと嬉しい気配が漂うのだ。そして、自分が地を踏みしめる京都の町がヨーロッパに思えた。なんだろう。街灯がオレンジ色だからだろうか。いや、街灯は普通に蛍光灯のはずだ。

わかった。ホテルのせいだ。この数年、できたばかりのホテルのせいだ。京都には大きなホテルが少ないからと行政も前のめりになり、コロナ前から次々と新しいホテルが建ち始めていた。それらがオレンジの光を放っているのだ。加えて、ホテルのロゴ、これが異国にいる感じを醸し出す。パリやプラハ、と言いたいところだが、石造りでもない鉄筋コンクリートの建物は、やはりアメリカと似ているというべきだろう。

足元は石畳でこそないが、アルファベットがつらなるロゴと、オレンジ色の灯りが、欧州を彷彿とさせるのだ。まるでパリやプラハ、と言いたいところだが、石造りでもない鉄筋コンクリートの建物は、やはりアメリカと似ているというべきだろう。そもそもこの季節になると、京都はワシントンDCを彷彿とさせるときがある。夜明けのこの気配は、紛れもなくアメリカだった。戦後日本がお手本としてきたアメリカだった。それも東海岸の。

が、ホテルなど一軒もないエリアに入り空を見上げると、そこには白い蛍光灯に照らされた、太い電線の束。これが視界に入ってきて、ここは京都の真ん中だったと思い知らされる。

東の空が次第にしらんできた。ああ、やはり家に戻ろう。東山から昇る朝日をみたい。7階のベランダから、ご来光を拝もう。東山が橙色に変わる様、これこそが古代より変わらぬ京都の橙である。

その朝私が見たのは、観光客を呼び込むためのオレンジの光。京都の町は、これを望んでいるのだろうか。