アメリカ東部時間で、8時46分でした。
20年前のあの悲劇を、私はモスクワのイミグレで知りました。ロシア語に紛れて、男性がペンタゴンとWTCが飛行機によって突撃されたとの英語が耳に届き、悪い冗談を言う人がいるものだとホテルに向かったのです。レセプションで、あの映像を見て目を疑い、コレが現実なのかと混乱したのを覚えています。私は翌日、黒海沿岸のアナパへ。自分が主演したウズベキスタン映画が出品しているキノショック映画祭に出るためでした。片田舎の宿のテレビは、あの映像を繰り返し流すだけ。ネットもつなげず、私はアメリカによる情報の外にいました。
帰りの飛行機の中で、日本の新聞を広げ、ムスリムを悪者に仕立てるアメリカ寄りの報道に抵抗を覚えます。インドネシア研究をしていた私、イスラーム社会を少なからず理解していたからです。帰国すれば、TBSの早朝番組「いちばん!エクスプレス」でコメントせねばなりません。出番までの半日、私は食い入るように日本のテレビを見て、自分の発言が極端にずれない範囲で、イスラームそのものは悪い宗教ではない。一部の原理主義者とはちがうというニュアンスを加えました。
が、視聴者からは、私がアメリカに厳しすぎるという批判の声も送られてきました。日本はアメリカの論調をそのまま伝えていたから、イスラーム擁護は許せないわけです。あのときにアメリカにいてレポートする立場ならば、私もイスラーム批判に走ったかもしれません。でも、埒外だったから、バランスをとろうとしたのです。いまだったら、ネットで炎上していたかもしれません。
その後、アメリカのアフガン侵攻――。人々に自由だの民主化だのを中途半端に植え付けて、20年経ったら撤退するなどということを、私たちはどうやって受け止めたらいいのでしょう。もちろん、米兵の命をこれ以上、犠牲にできないアメリカの事情もわかります。これについては、オバマ元大統領の責任も大きいと感じていますが・・・。
今年の911は、タリバンの復権と併せて、いつもにもまして悶々とした息苦しい日となりました。