最近、大メディアが原発の日本への導入の歴史をたどり始めた。私自身も膨大な資料を読みながら、占領期の電気事業からの掘り起こし作業をしているが、評伝ひとつとっても、本によって諸説あるので、これが正しいというところに簡単に行き着かない。 私になりに整理して、近々ここに書くつもりだ。
そうした振り返り作業をしながら思うのは、何事も30年が限界だということである。時代の流れは早い。将来は未知数だ。そう謙虚に考えれば、10年、20年で立ち止まり、大きな修正を加えるか、終焉に向けて動き出せるはずなのだ。利権やしがらみで雁字搦めになって、何も変えられないのが、政治の負の部分である。
中東革命でわかるように、独裁政権にも賞味期限がある。チュニジア25年、エジプト30年。リビア40年。国民にも世代交代が起きるのだから、政権は30年しか持たない。インドネシアのスハルト政権も32年だった。それでも30年なら民衆革命というシナリオも成り立つが、40年まで引っ張るとどうなるか。リビアの惨状を見れば明らかだ。国際情勢も大きく変わる。
福島原発1号機が動き始めたのは1971年。30年といえば、2001年だった。それまでに、スリーマイルでもチェルノブイリでも事故が起きている。何度も繰り返された原水爆実験を含め、痛めつけられた地球が怒ったのだと思う。にもかかわらず、アメリカもソ連も、事故に懲りずに原発を続けている。戦後復興のために導入した日本でさえ、経済大国になってもなお、原発を増やし続けてきた。機材に問題がある指摘したGE社員の声や経済産業省の若手の声をもみ消して福島原発を40年も使い続けたツケがまわってきた、と謙虚に受け止めるべきだろう。
原発の寿命は30年と決めよう。これまでの原発推進予算を未来エネルギーに向ければいい。電力会社のありようなどの問題は、それを決めてから、手をつければいい。
浜岡は歴史が浅いと言う人もいるだろう。しかし、コンクリートの堤防が逆効果だったとわかった以上、全く違う発想の防潮堤が必要だ。まずは植樹で「みどりの堤防」をつくり、単なるコンクリートの堤防ではない防潮堤を築いてから、再稼動すればいいではないか。