今日は終戦記念日。戦争で犠牲になった人びとのご冥福を改めてお祈りするとともに、74年間、日本が平和でいられたことに心から感謝します。
昭和20年8月15日、少なくとも東京は晴天でした。玉音放送を聴いた市井の人々@原宿表参道は、「これで新しい時代が始まる、もうB29(焼夷弾)に怯えなくていい」。そう思ったといいます。5月25日の山の手空襲で、彼らがどんな経験をしたか、『ワシントンハイツ』第1章をぜひ読んでみてください。
日本を焼き尽くすために実験家屋を設計したのはアントニン・レーモンドです。その事実を知ったのは、2003年、ワシントンDCのジョージタウン大学の外交フェロー時代。いまでこそ周知となった事実を知る人は、15年前の日本には、ほとんどいなかった。レーモンドは母校・東京女子大を設計した、日本で人気の建築家です。私はショックのあまり、隈さん(その後、歌舞伎座や国立競技場を設計して巨匠となっている建築家)にメールして訊ねたほどです。彼も当時は噂レベルの知識しかお持ちでなかった。日本国内では、その程度の認識でした。
「デイリー新潮」に、実験家屋にまつわる記事が出ていますし、『ワシントンハイツ』第2章「ある建築家の功罪と苦悩」をご高覧下さい。
科学者や建築家の才能が、戦争になると、国家権力にどうからめとられていくのか、私たちは覚えておく必要があります。本庶先生がノーベル賞を受賞できたのは、戦後ずっと平和だったからにほかありません。一つ間違えば、原爆開発や731部隊に手を貸す運命が待っていたのですから。先生が受賞スピーチでそのことに触れなかったことは、実に残念です。
私が『ワシントンハイツ』を勧めるのは、大国の思考回路を知ってほしいから。事実を知らなければ、何を選択すればいいか、見えてこないから。8月は、それを考える季節です。文庫は安いので、ぜひ読んで。それから日本の未来を考えましょう。
新潮デイリー「戦争と日本人」には下記サイトから入れるはずなのですが。