東京女子大の同窓生が中心の「華の会」からお招きを受けて講演。9月7日ゆえ、まだ羅物です。文様は秋草、萩と桔梗が描かれています。
帯は祖母の蝶文、絽です。萩には蝶が宿ることを京都に来て知りました。だから、この着物には赤か藍の蝶紋を合わせています。
会場は東京のビルの中。しかし写真を撮りそびれたので、数年前のものをご紹介、亀岡の楽楽荘にて。
貧血対策で、白レバー炒めていたら、揺れた。ドンと突き上げるように。
3日月曜日。京都も集中豪雨に見舞われた頃、関東も雷雨がすごかったのです。私は両親の眠る小田急線沿線、生田の霊園に向かっていました。
墓前に着くなり、いきなり稲光。墓石を洗い、供花、お供えをしたところで退散。風が強くて線香つけられず、雑草を全部抜ききれず、しかし、雷が怖くて――。
丘の上の墓地は雷が近いのです。私の上に落ちてきそうで怖いのです。骨折の次は落雷で病院に搬送などとニュースになったりしたら、あまりに恥ずかしい。
牛歩ゆえ5分かけて霊園事務所に着いたころには土砂降りとなったので、判断は正しかったよう。テーピングされた左足が濡れると厄介なので、足にビニールをかけてサンダルを履く不便。両足の自由を得るまで、もう少し。
疫神社の夏越祭は10時から。今年は足の手当てのために病院に行っていたこともあり、12時頃に神社へ。鳥居近くに刺さっているチガヤは99%抜かれた後。それでも、茅の輪をくぐり手合わせして、青々としたチガヤを探して、小さい茅の輪を作りました。
ここからが私オリジナルの儀式。赤い紙に「蘇民将来之子孫也」と書いて茅の輪につけ、正月から飾り続けた伊勢の注連縄から木札のみ残してセットします。木札、表には「蘇民将来家之門」、裏にはセーマンドーマンが書かれております。これで悪霊対策バッチリ。(なのですが、赤い紙がなかったので、今年は未だです)。