2019年3月 お別れの会と退官パーティは高野槙の色無地で切り抜ける

地紋が高野槙の色無地。裾回しに金の刺繍が施してあります。黒帯でお別れの会に参列した後、大学院指導教授の退官パーティへ。たつむらのキラキラした帯に換えました。14時終了、16時半開始という流れ。着替える場所、最悪は上智の近くのニューオータニホテルのトイレ・パウダールームを想定していました。結果、学士会館の更衣室を借りられたので、枝垂れ桜文の着物にしても大丈夫でしたね。ただし、荷物は大きくなったでしょうが。

お別れの会は難しいです。地味系の着物なら黒帯でなくてもよかったのでしょうが、一応、弟子としては喪服モードであるべきですものね。

MIHO MUSEUM「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(はそうあい)」の内覧会

20日、MIHO MUSEUM「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(はそうあい)」の内覧会にて。遠州流御家元による献茶式が行われました。手前下のマイクが邪魔ですが、取材陣のものゆえ、お許しを。最前列で拝見するために、この場所で30分待ち。祭り取材で待ちに慣れているとはいえ、入り口で履き替えたピンヒールでは足がつらく、しかし、その甲斐あって、括られている白い袱紗がどう扱われるか、しかと見届けることに成功。マスクを使われないことも含め、裏千家の献茶式とは全く違うのでした。

ある方に、展示で一押しは何でしたか、とお訊ねしたら、「お寺の縁側で見せてもらったときのほうがええなあ」と一言。これ、国宝曜変天目のことですよ。

そんなあ、普段、私たちは見られませんやん。だから、意味があるのです、この展覧会。何があっても行くべき。超お勧めです。

YUKI TORII 2019 秋冬コレクションへ

東奔西走の日々、続き。
昨日は、YUKI TORII 2019 秋冬コレクションへ。春夏モチーフのひとつアイリスを選んだ3人3色で先生を囲んで記念撮影。

今朝早くに京都へ戻り、和服に着替えるまもなくバスに乗り、この姿でMIHO MUSEUM「大徳寺龍光院国宝曜変天目と破草鞋(はそうあい)」内覧会へ。和服でもなく、髪もおろしていたからか、私に気づいてくれなかった茶友も数名いて、少なからずショックを受けた私。御家元の献茶式を拝見すべく、最前列に立っていたというのに。

涅槃図と韋駄天像@泉涌寺

涅槃会の季節、先日の清凉寺では火を拝んだあと涅槃図を最前列で見入っていると、和尚さまが人々を呼び込んで説明を始められたのであります。その長いこと、この上なく、美空ひばりさんに秋元さんが書いた「川の流れのように」が仏教的と説明したあげく、和尚さま熱唱の運びとなりました。

涅槃図公開は、御寺泉涌寺でも。16日で終了のはずが17日まで掲げられていて、出遅れた私は得した気分。その日は天皇陛下御在位30周年記念として韋駄天像の御開帳最終日でもあり、特別に一日延長されたのかもしれません。限定に弱い私はつい韋駄天御朱印帳まで購入してしまったのでした。

京都国立博物館に向かうためタクシーを門前まで呼び、待ち時間にお蕎麦を注文。気がいいので、美味に感じます。

15日、ここで勅使と神職に遭遇したとのFB情報があり、伊勢神宮に同じく、天皇陛下譲位日程のご報告かと思いきや、その日は孝明天皇の墓参だったとか。

2019年3月 春蘭の帯で日日居月釜へ

素敵なお茶室にお呼ばれしました。天井の高い茶室はもとより、玄関からお台所にいたるまで、私好みの内装で、久しぶりにワクワク。日ごろお会いしているだけでは見えないご亭主の奥深さが伝わり、興奮しました。ご亭主の許可を頂き、写真を掲載させていただきました。

一生お茶室が持てるわけがないと、着物に散在し続けた私。それよりも、お道具を少しずつ揃えるべきだったかなあ。収納スペースもないくせに、ちょっと悔やまれます。

あまりに居心地よすぎて、いろいろお訊ねしたにもかかわらず、堂々としたお点前。こちらにも感動しました。若いお茶人さんたちに紛れて、浮きまくりの私でした。

着物は山々を描いたぼかし風。帯は春蘭、しま亀さんです。

 

嵯峨の清凉寺火祭り

東奔西走の日々。
15日、伊勢神宮参拝の後、近鉄で京都に戻り、バスで嵯峨の清凉寺火祭りへ。奈良も京都もゾロアスターの気配がいっぱい。東大寺のお水取りも終わり、本格的な春の兆し。

伊勢神宮にて、天皇陛下譲位日程ご報告神事

伊勢神宮参拝は、外宮から。午前中は木漏れ日がまぶしく、このような写真が撮影できました。

内宮に移動すると、手水の後、鳥居で止められた、正宮に進めません。やがて、神職さんたちの参進が見えてきて、建物の中に入られました。麻ひもに気づいた私は、どんな神事かと皇宮警察に尋ねてみたところ、天皇陛下が譲位される日が決定したので、そのご報告で臨時の神事とのこと。実際、正宮では御垣内に、神事の名残があり、再び神職さんにお訊ねすると、同じお答えでした。