FRIDAYデジタルのインタビュー記事 今朝配信

今朝、FRIDAYデジタルのインタビュー記事が配信されました。タイトルは・・・

ジャニー喜多川氏も住人だった「ワシントンハイツ」の全貌:1964東京オリンピックの選手村になった米軍施設

私が『ワシントンハイツ』を上梓したときより、さらには文庫化されたときよりも、はるかに多くの写真がみつかり、このサイトに掲載されています。さすが写真誌ですね。すでに新潮文庫を買ってくださった方も、ビジュアルで楽しめます。ご高覧くださいね。

https://friday.kodansha.co.jp/article/63115?fbclid=IwAR0kJQCjLACJsGoRtoU22l66P5y-z_JergKa4bFrj0UBM0KYwe5AxvBwDzo

長い一日

早朝から書を書き、午後の選考会に間に合わせる。綱渡り、綱渡り。

帰宅して和服に着替え、Kサロンへ。その後、メンバーの一人についてでかけ、次の店へ。この事態、彼も想定せず、どうやらサプライズだったらしい。そうとは知らず、のこのこついていった私は大いに場違いだったかもしれず、所在ないことこの上ない。いままで見たことのない京都の人々。みんな、素敵だった。お酒の後に、締めのカツサンド。明日は顔がマンパチかな。

帰洛

10時からの「明日の京都 文化遺産プラットフォーム」の月例会議に出るため、朝の新幹線で東京から戻ってきたのだが、京都疫から二条駅までの接続がうまくいかず、MKタクシーに乗る。しかし、この方法でも遅刻。電車にしてもよかったかな。散財した意味ない、と思ってしまう主婦経験者の私。

送られてきていた原稿を直しかけ、マンション管理組合総会に出席。戻って直しの続き。目がしょぼしょぼ。

免許書き換え、麻布十番、自由が丘

誕生日の前後1カ月にあたる9月10日までに書き換えの手続きが必要。東京都庁へと向かう。うーん、5年前の写真のほうがいい顔している。和服だったし。

その後、麻布十番の歯医者で治療。パン屋ポンパドールでパン+コーヒーと思ったのに、お店が消えていて、がっかり。出来立ての台湾のお店でピスタチオのソフトクリームを食す。あ、たぬき煎餅の道を隔てたお隣です。

そのあとのアポは再び麻布十番なのだが、夜まで時間があるので、自由が丘に出向いて、アルシュ直売店を覗いた。おそらく30年ぶりくらいの自由が丘(駅の反対側にはよく行っていたのだが)。優雅な主婦が喜びそうなアンテナショップがいっぱい。雑誌とリンクしていそうな光景だ。熊野神社の幟もたくさん掲げられている。近々、秋の例祭があるのだろう。ここに熊野神社があったとは。

さて、再び麻布十番へ。驚いたのは東急線。名前が変わっていて、さっぱりわからん。大岡山で麻布十番に出るのが早いのだが、目蒲線って呼ばないのね。なんなんだ。

インド帰りのマコちゃん宅を訪れ、帰宅したご主人とイタリアン・レストランへ。週末の麻布十番祭りの後、お休みの店も多い中、営業していてくれて、ありがとう。初めてのお店、料理の写真は撮ったのだが、店名を忘れましたゆえ、あとで調べて書きますね。グリル満点星の向いにあるお店です。

さよなら、ホテルオークラ別館

美容院でカラリングの後、ホテルオークラのバーへ。9月の本館オープンを前に、別館のレストラン・バーは8月末で閉じるのだという。ホテル自体は、別の経営者にわたって運営されるらしいのだが、レストランとバーは閉じて、スタッフも9月からは本館で働くことになる。

実は、私は別館12階で25歳のときに結婚披露宴を行っている。離婚したのだから、その建物が無くなったところで執着はないのだが、弟が成人したときもレストラン「ベルエポック」で祖母も一緒に祝ったことを考えると、少し寂しい気もちにもなる。

ま、この20年ほどは、オークラではバー通いがほとんど。レストランの食事は重たくても、バーのメニューなら、はほどよく満足できる。上階フロアのグリルや隣のカフェにも、ときどきお世話になった。

私はホテルのバーが好きだ。外国人観光客をウォッチングするのも面白い。どんな歴史を背負って、ここにいるのだろうと妄想を膨らませるのが楽しいのだ。私も海外に行くと、自分は安宿に泊まりながら、大手ホテルのバーに出向き、一人でくつろぐ。ワシントンDCのジョージタウン大学大学院に中年留学したときでさえ、ハッピーアワーを狙い、有名ホテルのバーで過ごしたものである。アメリカだと料理に当たりはずれがあるのだが、どこのバーでも、カラマリ・フリットス(烏賊のフライ)はハズさなかった。

バッグはCOACH。黒のワンピはオレボレブラ。豚モチーフは胸にワンポイントのみで、襟まわりはフラワーが施されているので、バッグのフラワーと連動。新幹線に乗るときは腰痛再発を食い止めるためにバイオラバーを巻いています。なので、ちょっとマタニティ風デザインのこの服が便利なのです。

書の稽古、東京教室へ

書のお稽古@東京。書展に出す文字を見てもらうために東京へ。京都教室より1週間早いから、時間稼ぎ。京都での作品選考会は9月1日なので、その間に形にできる。また綱渡り。いつも綱渡り。

片付けを終えて、表参道の川上庵へ。この界隈で暮らす塾生のHさんと久しぶりに談笑。コーンの天ぷら、美味だった。写真はのちほど

スピンオフ会議

明日の京都、文化遺産プラットフォームの会議(スピンオフ)@立命朱雀キャンパスに出て、整体へ向かう。明日は早起きして、書展に出す作品の候補をいくつか書かねば。

浴衣の自分発見!@「京都人の密かな愉しみ Blue 修業中 祇園さんの来はる夏」

ながら、で見ていました、NHKのこの番組。前半は昭和天皇の番組とザッピングしつつ、後半は、こちらにフィックスして。

もう終わるであろう時間帯。あれ? 私と思しき人物が映っているではありませんか。でも、人違いかも。録画していなかったので確かめる術もなく、あれ?というモードのまま。しばらくして、「さとこさんだよね」というメッセージがいくつか入り込んできて、やはり自分だと確信した。

半分ドラマ、半分ドキュメンタリーだから、映り込むことありかもだが、撮影されていたことに気づかないなんて。メディアにいた人間として、わきが甘いですね。

9月に再放送があるようです。さて、私はどこにいたでしょうか。確かめてね。もちろん、浴衣姿だよ。色は写真のグリーン系。ヒントは御旅所。

 

追伸:【答】は最後の最後でした。

 

終戦記念日 デイリー新潮

今日は終戦記念日。戦争で犠牲になった人びとのご冥福を改めてお祈りするとともに、74年間、日本が平和でいられたことに心から感謝します。

昭和20年8月15日、少なくとも東京は晴天でした。玉音放送を聴いた市井の人々@原宿表参道は、「これで新しい時代が始まる、もうB29(焼夷弾)に怯えなくていい」。そう思ったといいます。5月25日の山の手空襲で、彼らがどんな経験をしたか、『ワシントンハイツ』第1章をぜひ読んでみてください。

日本を焼き尽くすために実験家屋を設計したのはアントニン・レーモンドです。その事実を知ったのは、2003年、ワシントンDCのジョージタウン大学の外交フェロー時代。いまでこそ周知となった事実を知る人は、15年前の日本には、ほとんどいなかった。レーモンドは母校・東京女子大を設計した、日本で人気の建築家です。私はショックのあまり、隈さん(その後、歌舞伎座や国立競技場を設計して巨匠となっている建築家)にメールして訊ねたほどです。彼も当時は噂レベルの知識しかお持ちでなかった。日本国内では、その程度の認識でした。

「デイリー新潮」に、実験家屋にまつわる記事が出ていますし、『ワシントンハイツ』第2章「ある建築家の功罪と苦悩」をご高覧下さい。

科学者や建築家の才能が、戦争になると、国家権力にどうからめとられていくのか、私たちは覚えておく必要があります。本庶先生がノーベル賞を受賞できたのは、戦後ずっと平和だったからにほかありません。一つ間違えば、原爆開発や731部隊に手を貸す運命が待っていたのですから。先生が受賞スピーチでそのことに触れなかったことは、実に残念です。

私が『ワシントンハイツ』を勧めるのは、大国の思考回路を知ってほしいから。事実を知らなければ、何を選択すればいいか、見えてこないから。8月は、それを考える季節です。文庫は安いので、ぜひ読んで。それから日本の未来を考えましょう。

新潮デイリー「戦争と日本人」には下記サイトから入れるはずなのですが。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190810-00575293-shincho-soci&fbclid=IwAR3oR-0PBbWuYZPLWyUGNmsveZtgiPWV484_tSJqjBl6m-SvWILUxr1Co_4