帝王紫の帯で、招福楼デビュー

いつか行ってみたいと思っていた招福楼本店。旧暦の菊の節句にあたる10月は、菊がテーマで、お料理も菊づくし。壁には、雲上流の菊。女将さんの帯も菊。後ろ姿を写真に収めました。

この会の趣旨が、染司吉岡幸雄さんを偲ぶ会ゆえ、私の装いは、貝紫でまとめました。帯は、吉岡先生のお父様の作品。帝王紫の研究者でもいらしたので。

「秋尾さんなら価値がわかるわよね、吉岡先生のお父様の帯よ」

そう言って、私にこの帯を勧めたのは、東京銀座にあった「かわの屋」さん。もちろん、ありがたい帯であることはわかるのですが、これに合う着物がない。そうしたら、またまた差し出されたのが、紬の着物。青山みとも製で、メキシコの貝紫で染められています。乗せてみたらバッチリなので、合わせてお買い上げ、いや、散財したのであります。既製の着物ですから、大きいのです。単衣でしたので、八掛だけつけて、人形仕立てにしています。それも、ただの八掛ではありません、三本の矢です。

蹴鞠の茶会

月釜@蓬莱堂。テーマは「#蹴鞠」。

蹴鞠こそ京都でないと見られない、と #京都御所 秋の特別公開で観に出向いたのが最初。その後、#上賀茂神社でも #下鴨神社 でも、何度も拝見しております。

#蹴鞠シーン#大河ドラマ によく出てきますよね。

 

 

 

蹴鞠鑑賞で私にとってはお馴染みの #蹴鞠保存会 の方からお話を伺いながらの楽しい茶会。さすがに #蹴鞠の帯 は持っておらず、アキオは白い #菊の帯 を締めて伺いました。一見、鞠に見えそうな。

暑いので前日と同じ #単衣 青の色無地 をまとって。天高く蹴り上げられた鞠のイメージで。

菊の帯で重陽の節句、そして、ずいき祭り

10月1日、#旧暦重陽の節句 にちなんだ催しで、#ブライトンホテル にて #東儀秀樹 さんの演奏と #東儀家の五節句 についてお話を拝聴。代々東儀家に伝わる五節句のお祝い、ちゃんと続けておられるのに感動。

終了後、「#ずいき祭」の御旅所へ。北野天満宮の、豊穣に感謝する祭。大小2基の神輿の屋根は #ずいき(里芋の茎)。その前に立っております。

御旅所での神事を遠巻きに見て、装束を着て練り歩いた友人と、#北野天満宮 へ戻った。彼の着替えの間、本殿の #道真公 はもちろん、境内で祀られている、#お稲荷さん#猿田彦さん#宗像三女神 を巡った。#朔日詣 を一度にさせていただいた感じ。お朔日は、感謝を捧げる日。参拝はマストなのです。

30度という暑さ。10月でも着物は単衣。帯は、お太鼓が #菊文 で 前が #紅葉文 という #刺繍帯#重陽の節句 は #菊の節句でもある#マスクも菊文。あ、バッグは #雅楽文の刺繍。東儀さんにお伝えするの忘れた。残念。

米副大統領、六本木のヘリポートを離陸

東京滞在中の木曜日朝早く、外苑西通沿いローソンでコーヒーを買おうとしたら、店の前にバリケード、くわえてカメラマンが陣取っている。カマラ・ハリス副大統領が米軍ヘリポートからヘリで横田基地へ移動するまでの、道路を走る車列狙いなのだそう。
私が『ワシントンハイツ』を上梓した時には、六本木にある米軍ヘリポート周辺を、こんな堂々と撮影するなんて考えられず、尋問覚悟でこそこそ取材していたのに。トランプ前大統領からかな、ハーディバラックス(占領期のここの呼び名)のヘリポートの存在が、公然の秘密となった(意味不明の人は、『ワシントンハイツ』序章と16章を読んでね)。かくいう私も写真をFBにあげて咎められないのだから、隔世の感をいなめない。この変化の裏に何があるか、一度検証せねば。
それにしても、東京のカメラボーイたち、なんとなくスマート。祇園祭追っかけカメラおじさんとエライ違い。服装のせいかな。私服の警備員かと見間違う。
カマラハリスが飛び立った後は、警備員が解除とともに中に誘ってくれるサービスぶり。彼等の金網越し随行機撮影準備が始まった。なるほど、大きな脚立はそのためだったのか。皆、米軍基地撮影に慣れているようで、東京のど真ん中に存在する米軍基地に違和感もたぬ世代が、爽やかに日本社会を構成しているのだと思い知った。彼らに拙著『ワシントンハイツ』の存在を教えたかったが、あまりに普段着おばさんの出で立ちゆえ、名乗らずに去った。
ま、せっかくだから、私も随行機、スマホ動画で撮影しておいた。ここにはあげないが、講演とかで使える可能性もあるので。

プロフェッショナル再放送

もしも夜更かしされているなら・・・
1時28分よりNHKで、プロフェッショナル 仕事の流儀「“普通”を極めし、その先に~日本料理人・森川裕之~」が再放送されます。
例によって、私が瞬間的に映り込んでおりますが、とても良い番組なので、ご高覧をオススメします。

浴衣地の洋服

毎年、#祇園祭 には、浴衣を着て脚立もって走り回っている私。
「祭なんだから当然取材も和服だよね」の一言に支配されて洋服が着られず、しかし、浴衣に脚立はどうかしら、と思いながら齢を重ねて、さすがに無理を感じるこのごろです。

で、最近思いついたのが、浴衣の生地でパンツスーツを作ること。パタン勉強中の学生さんとかにお願いできないか、と考えていたら、出会ってしまったのです、浴衣風味の洋服に。

#ケイタマルヤマ、その人は、なんと私の考えを形にしていたのであります。が、気づいたのは、ケイタさんが京都でポップアップストアを2日だけ開いた晩夏。よって、トップスはソールドアウト、スーツとしては成立せず。パンツのみ購入。

さて、これが浴衣代わりになるかどうか、#弘道館での講座 に着ていきました。トップスが紺一色はキツイかなあ、似た配色の麻の布でトップス作る必要があるかも。団扇文なので、盛夏限定ですね。少なくとも京都では。

久々に味わう野田岩の鰻

久し振りに江戸の鰻を食しました。

幼い頃は母に「ウナちゃん」と呼ばれるほどの鰻好き。なのに、京都でも食べる機会少なく、伊勢や名古屋に行ったときに頂いたくらい。じゃあ、東京で食べればいいじゃないと思うのだが、一人鰻はさすがに抵抗があり、ようやく念願の江戸の鰻です。

エンジン01文化戦略会議・教育委員会が野田岩で開かれ、15匹分の肝焼きに涙。美味すぎて。フォアグラを思わせるトロトロの味。命を頂戴するのだから、感謝しながら、恵まれている日本人の私たち。

東京、活気あるなあ。青山西麻布でランチするだけで、若者から発せられるエナジーに圧倒されるのだが、夜に集った文化人の方々は落合陽一さん以外はほぼ中年高齢の集合体だったというのに、なんか元気。こういう刺激は、京都では得られない。東京の鰻と仲間に元気もらって、前向きになれた私です。

が、実を言うと、かなり酔いました。新書7冊がベストテン入りしている和田秀樹さんが持ち込んでくれたワインが美味で、ビール、菊正宗に加えて赤白ワインいろいろ味わううち、久し振りのお酒に私の臓物、ちょっと驚いたようでした。

重陽の節句

大阪・船場の個人宅にて、重陽の節句の飾り付けを見学。大阪から始まった「後の雛」を菊の節句にふさわしくアレンジされているのが素晴らしい。菊の造花は、雲上流の作品。お家元が高齢のため、こうした立派な作品はもう造られないという。

一昨年と同じ菊文の生紬に、帯を替えて参上。藍の、菊にも見える花が織られた羅の帯で。

重陽の節句 2022 上賀茂神社と法輪寺

旧暦の重陽の節句は10月14日ですが、神事法要は新暦9月9日に斎行されます。今年は、上賀茂神社の重陽神事に、その後、法輪寺の法要に参列しました。
上賀茂神社では、本殿の前に進むだけで祓われた感じがします。実にありがたい。例年、神事のあと烏相撲が開催されますが、今年は中止。直会の菊酒を頂き、バス移動。洛北から嵐山までは果てしなく遠い。どうにか法要に間に合いました。
法輪寺には、伊東久重先生お祖父様の作品である菊慈童が飾られ、金剛流による能「菊慈童(枕慈童)」が奉納されました。終わってから寺務所を訪ねたら、茱萸袋は売り切れ。昨年のが手元にあるものの、毎年、菊が微妙に違うと知って、集めてみようかと思ったのですが、残念。

森英恵さんのご冥福をお祈りします

東京女子大の先輩でもある森英恵さんがいち早く世界的デザイナーになりえた裏に、占領期に日本へやってきたアメリカ将校夫人の存在があります。明治神宮隣にできた「ワシントンハイツ」のような米軍家族住宅は戦後、「日本人の衣食住をアメリカ化」する役割を果たします。住空間から畳が消え、和服を捨てて洋服に走るのです。
将校夫人の衣服縫製を依頼された森英恵さんは、将校夫人たちが持ち込む型紙を通して、丸いフォルムを覚えます。それらは、彼女がドレメで学んだ型紙と全く違ったのでした(拙著 第9章 有閑マダムの退屈な日々 参照)。その後、日本は空前の洋裁ブーム。アメリカに残されている占領期の日本の地方紙には、雨後の筍のように、洋裁教室の広告がぎっしり掲載されていたのをこの目で確認しています。
私も80年代終わりに、香港やバンコクでお気に入りの洋服持ち込んで、同じフォルムの服を作った経験があります。香港男子は私の服を解体して型紙をとり、縫い直して返却してきました。当時のアジアはまだまだ貧しく(90年代に入って目覚ましい成長を遂げるのだが)、彼らは先進国から来た客の情報をむさぼるように吸収しようとしていたのです。占領期の将校夫人からしたら、森英恵さんの「ひよしや」は、そんな店だったのでしょう。
ハンカチやトイレタリーなど、ライセンス事業であらゆる商品にハナエモリの蝶々が溢れた時代、正直、辟易して目をそらしたこともありました。でも、80年代に買ったVIVIDの赤いスーツとトロピカル風スカートは、いまも手元に残しています。
25歳で結婚した私に財力はなかったけれど、もしも富裕な一族に嫁ぐようなご縁があってドレスをオーダーしていたら、どんなデザインだったかなあと、森英恵さんの旅立ちを機に妄想してしまいました。
先輩のご冥福を、心からお祈りいたします。合掌
追記:文庫版『ワシントンハイツ』はデジタル版として販売されていますが、単行本・文庫本ともに新しい紙の本をご所望の場合は、神明舎で受け取ることができます。ご連絡くださいませ。