投稿者: AKIO Satoko
夏越祭
7月1日から始まった祇園祭は、31日の夏越祭をもって終わりとなります。八坂神社西門入ってすぐ疫神社で、茅の輪をくぐり(右の写真は以前のもの)、萱の茎を頂いて帰り(左写真)、それを編んで自分で小さな茅の輪を作り「蘇民将来之子孫也」と短冊に書いて玄関にかけます。疫神社の茅の輪の上にも、「蘇民将来」短冊があります(右写真)。
夏越祭の後、南門にある中村楼さんで稚児餅を頂いて、祇園祭の閉幕を確認します。稚児餅とは、長刀鉾のお稚児さんが社参して位をもらった際に馬に乗ったまま中村楼に寄り、中で食べるお餅のこと。「社参の儀」翌日の7月14日から31日までの限定で、一般の人々にも振る舞われるのです。
さて、我家の玄関。今年はじめて「蘇民将来」の子孫であると書く短冊を赤にしました。上方の木札は、伊勢の注連縄についている木札「蘇民将来子孫家門」。微妙に言い方は違いますが、いずれの土地にも蘇民将来伝説が残っていることが古代史の謎のひとつ。その話は改めて書くとして、まずは「蘇民将来」とのご縁を二重に強調することで、疫病、魔物から守られると期待する私です。
実は、前日まで伊勢の注連縄を飾っていました。正月からそのまま、木札とともに。でも本日、茅の輪を手に入れたので、玄関にあった注連縄は鬼門の窓へ移し、別に購入していた小ぶりの木札のみ掛けてみたのです。伊勢の木札は中村楼さんの玄関の上にもありますので、クリック拡大してみてくださいね。
2016年7月 大船鉾へ
一昨年復活した大船鉾。今年は町会所も作られ、階段ではなく、その2階からのスライドで大船鉾に上がれるようになりました。
写真右は、龍頭と背中合わせに座って撮影したもの。座り位置は、スキンヘッドの男性と同じ(左)。去年までは大金幣(下)がつけられていました。当面、龍頭と交互につけるのだそうです。よって、来年は大金幣。巡行では龍頭は見られません。
昨年のセールで購入したペイズリー柄の浴衣。今年は大活躍。北観音山の日和神楽が和久傳に門(かど)付けしたときにも、環幸祭でも、この組み合わせで。朱の帯にこだわるのは、山鉾に使われている色と喧嘩させないためです。
追伸:門(かど)とは、玄関のこと。玄関まで来て演奏してくれることを、門付けといいます。「門先まで行くので」と言われて最初は戸惑いました。玄関先という意味なのですが、京都独特の表現のようです。
2016年7月 北観音山へ
2016年7月 芭蕉文の浴衣で紫織庵へ
2016年7月 鯉山へ龍文の帯で
2016年7月 京町屋で過ごす後祭
曳き初めの後は、吉田家でゆるりと過ごさせていただきました。今朝あたりから朝夕が涼しいんです。風が乾いているというか。空が高いというか。秋の気配なんですね。
京町屋の夏座敷、大好きです。東西に吹き抜ける風。床に映る棕櫚の葉陰。外を行く人々の喧噪。やがて石灯籠のあかりが灯ったと思うと、北観音山の祇園囃子が耳に届く。模擬店などなく、昔ながらの風流な祇園祭が味わえる後祭、落ち着きます。
もう10年くらい着ているオモダカ文の浴衣に、博多紗献上を締めて。至福の時――。
道行く人は、昔ながらの商家の屏風を外から楽しむことができ、ゆえに祇園祭は屏風祭ともいいます。上の写真真ん中の鱗文の法被は、素戔嗚尊を乗せた神輿をかつぐ「三若」の法被アンティーク。昔のデザインはすばらしい。