知恩院の階段下で見られる粟田祭のワンシーン。八瀬の赦免地踊りと重なるので、この日が初めて。神仏習合を残している。
翌日、フォーラムの仕切りをするとわかっていたので、着物は諦め、洋服で。30年まえのアギーグレースのボトムに、20年前にアジア取材のために作ったトップス。
東山にある智積院にやってきました。真言宗智山派の総本山ですが、今年まで訪れるチャンスを逃していたのです。
高野山にいた覚鑁(かくばん)が根来山に道場を建てて誕生した根来寺は、やがて巨大な勢力をもち豊臣秀吉と対立。堂塔のほとんどを焼失。徳川家康により、現在の京都の東山に建立されました。
根来寺といえば、思い出すのが根来衆。ここには日本史の秘密がいっぱい詰まっているに違いないと興味津々の私です。
月を映すことを意識して、観月には、この着物。家に残っていたお召しです。帯は若いころから私が締めていたもの。
未生流お家元を囲む会。会場は京都東山のウェスティン都ホテル。
その後、青蓮院での発表会へ。家元はじめ、社中の作品を堪能しました。
烏丸三条を西に歩くと目に入るアジア風の店、素夢子。韓国薬膳茶などが楽しめるだけでなく、モンスーンアジアの空気に浸れるのが魅力です。
実はこの店、日本最古の帯問屋・誉田屋源兵衛の経営。インテリアが思い切りアジア風なのは、社長がインドネシアなどで買い集めたテーブルなどが置かれているためです。
浴衣は下に襦袢を着ることによって、着物に近いランクにアップできます。小百合の浴衣は、反物状態で纏ったときに、インドのサリーのような印象になったので、次にアジアに行くときに着たいなあと思っているもの。まずは素夢子へ。カレーを頂きました。
白川でのお茶会に招かれました。
川の上に浮かぶ色々な茶室――。まずは、茶友のお煎茶。それから中国茶。かくも美味なプ―アールは初めて。
石清水八幡宮の石清水祭に、初めて参列しました。夜中から徹夜で、翌日の夕方まで続くのです。勅使も最後まで付き合われ、葵祭より難儀なお仕事と推察します。
さすがに寒くなるかもしれぬと、絽でも上布でもなく、単衣の色無地を着ております。八幡なのだから鳩の帯がふさわしいのですが、持ち合わせているのが内裏雛と一緒に描かれているもので、9月には不向きです。よって、鳳凰の綴れで。
偶然にも、染司 吉岡幸雄先生のご一行もいらして、神輿を待ちながら、久しぶりにお話を。
翌朝の放生。神職が鳩を放った後、金魚を二匹、一般参列者も含めて川に放ったのでした。
9月9日は重陽の節句。宮中では、陽の数字(奇数)が二つ重なる日に、菊酒を飲んで、無病息災を祈った。
上賀茂神社では、重陽神事の後、烏相撲が執り行われる。神武天皇が東進された折、賀茂別雷神の祖父である賀茂建角身命がヤタガラスに扮して先導したことへの論功行賞として、山城国の一帯を与えられ、賀茂社が建てられたという伝説に基づくものである。宮中で行われた相撲の節会とあわさった神事だとの説が有力だ。
私自身は、延命災難除けの祈祷をしていただき、重陽神事に参列。その後、氏子の子どもたちによる烏相撲を観戦した。烏帽子、白張姿の刀祢が、カーカーカー、コーコーコーと立砂前で飛び跳ねる作法が実に興味深い。
この日こそ、ヤタガラスの帯を締めたいところ。着物には菊文が理想だが、絽と袷しか持ち合わせがなく、単衣ならば、見た目が似ている向日葵で代用することにしている。帯留は、上賀茂神社の神紋である葵。祇園祭の屋台でみつけたもの。売っていたオジサンは、単なるハートというのだけれど、私には葵に見えるのです。指輪もハートモチーフなれど葵に近いものをはめてみました。
右の写真は向日葵文の着物を着て、膝の上に置いたハンカチ。描き方が面白い。
芙蓉の帯。と呼んでいます。紫織庵製。もう10年ほど前に東京でみつけました。矢絣の着物は、京都に来てから紫織庵さんのセールでみつけました。瞬間、この帯が浮かび、即買い。
晩夏から秋にかけて咲く芙蓉と木槿。見分けるのは難しいですね。三条通のソムシの前に咲いている木槿の前で撮影しました。そのあとは伊右衛門サロンで一息。
三条通のこの一角は、かつて大きな呉服屋さんが店を構えていたのです。いずれのお店も、その名残です。