12月○日 山吹色の魔力

 一体これは何だ。黄色のジャケットの山。目がちかちか。頭くらくら。バリ島にいるというのに、私を襲ったのは太陽光線ではない。

 眩しい海外線の誘惑に目を覆い、会議場ロビーに足を踏み入れた途端、ゴルカル党のシンボルカラーである黄色が私を直撃した。自民党大会やアメリカの民主党大会など、いろいろな国の党大会を見てきた私としては、おみやげとして、時計やボールペンなど、ノベルティが売られている光景には慣れっこだ。しかし、ジャケットの大量販売は初めての経験。メガワティ率いる闘争民主党の大会でも、赤のジャケットがこんなに下がっているのは見たことがない。

 材質は綿や化繊が主流。中には革ジャンも売られている。こんなに暑い国で革ジャンなんか誰が買うんかい。こんなチープなデザインでは、場末のキャバレーのステージ衣装と相場が決まっている。などと冷ややかに見すごして会場に入って、またびっくり。 100%、全員が黄色のジャケット着用なのである。きゃあ、もしかして黒は私一人? 冷房対策はピンクのカーデガンだし、所在ないのなんのって。まぁずい。品がないけど、私もあのジャケットを買う?5日間着れば元がとれるかなあ。

 しかし、最前列の来賓席の名前をチェックして、一瞬の迷いから開放された。椅子の上にタウフィック・キマスの名を発見・・・。ということは妻である前大統領のメガワティも来賓?たしかに隣の隣にはPDIP総裁と書かれたカードが置かれている。ここでゴルカル色を着た折には、メガワティの顰蹙を買ってしまう。あくまで、中立を通さなければならない。

 思いがけず、バリでメガワティと会うことができた。大統領選挙に敗れてから初めての対面だった。大統領の座を退いてストレスは減ったのだろう。彼女はとても感じよく、にこやかだった。大統領選挙ではゴルカル党のアクバル派がメガワティ支持にまわったのだから、党大会に出席するのは自然だが、しかし、敗れた身としては、辛い試練でもあったはずだ。

 時間は前後するが、早々と会場に着いた私は、党の幹部に呼び込まれて前から2列目に座る羽目になっていた。な、なんと、そこは党首候補たちのすぐ後ろ。しかも、そのお隣には、あのスハルトの娘婿プラボウォが座ってしまった。98年5月にジャカルタを混乱に陥れた張本人。しかし、この人もインフォーマントの一人にしたい私はついつい、こちらから挨拶してしまった。実に節操がない。

 それにしても、ゴルカル党の山吹色。宗教チックで不思議な魔力を持つ。これが党のシンボルカラーである限り、金権政治と決別できないのではないだろうか。弔事に喪服ばかり集うと、デザインで差別化を図りたくなるように、なるほど、同じ山吹色でも党員によっては工夫がなされている。部外者の私でさえ、皮ジャンも悪くないと思えてきた。冷房でからだが冷えてくれば、思わず買いたくなる。さりとて、こんな色のジャケットは東京に帰れば無用の長物。そういえば、我が家には山吹色の服があれもあった、これもあった、一着くらい持ってくれば良かったと、同じ色を着ながらにして、自分らしさを強調しようとする私がいる。会場にいると、山吹色に染まることに抵抗なくなっていく心理は、我ながら怖いと思った。