久々にワシントンにやってきてリサーチをしている。街路樹はすっかり黄金色に染まり、冬支度。家々はすでに庭先や玄関にクリスマスデコレーションを施し、電飾トナカイや電飾ツリーに彩られて夜は華やかなかぎりである。
ある日本人女性に会うために、アムトラックでデラウェアに向かった。アメリカ人男性と結婚したその女性はもう、80歳になろうとしている。彼女に取材した内容は現段階では明らかにできないが、彼女は古きよき時代の日本を振り返ってこう嘆いた。
「戦争も経験したけど、その前も後も、日本は大らかで余裕がありましたよ。歌舞伎を観に行ったって、客層が違いましたもの。みな粋で、芸者さんも綺麗でね。その空間に自分が来た、というのが嬉しくてたまらなかった」
もちろん、階級もはっきりしていた時代、彼女はアッパークラスに属していたからこそ出来たのである。そうしたクラス分けがいいとは思えないが、しかし、戦後の悪しき平等主義が日本文化の継承の妨げになったのもまた事実である。そして再び日本が貧富の差で二極化しようとする今、残念ながら新しいお金持ちは日本の文化を知らずに終わっていく。
ステイ先をメリーランドからワシントンDCのジョージタウンに住む日本人留学生宅に移した。仕事で貯めたお金を投じ留学中のMさんは、木曜日に日本人仲間を家に招き、ターキーを焼くという。昨年はこの休みを利用して日本に戻ったので、私には初めてのサンクスギビング体験。昨夜から熱を出して寝込んでいたのだが、結局、一緒にターキーを焼くことになってしまった。
アメリカのサンクスギビングは、かつての日本の正月に似て、独り者には所在無い。店は前日の午後から閉められ、都会に住む人々は家族が待つ故郷へと急ぐ。留学生は友人の家族の集いに入れてもらうか、お互いに集うしかないのである。
大家さんのキッチンには備え付けのオーブンがあり、ターキーを焼く自体、そんなに苦労はなかったのだが、問題はグレービーソースである。Mさんはカリスマ主婦マーサのレシピを片手に悩んでいる。最初の壁は、ターキーの首と内臓を野菜と一緒に煮込んでしまっていいものかどうか。次の壁は、色である。われわれが日ごろイメージするグレービーソースよりも、赤く見えるのが玉に瑕。それに、たくさん出来上がったスープの一部に小麦粉を入れたところ、ダマが出来てしまったところで頭を抱えた。まずはインスタントのグレービーソースを作っておいて最悪の事態を避ける。そして、残りのスープを二等分し、水溶き片栗粉でごまかしたものと、正統派小麦粉でとろみをつけたものを作ったのだ。結果的に3種類ものソースが出来上がり、皆に食べ比べてもらうことにした。
やってきたのは、省庁や企業から派遣された人々が中心。私はワシントンにいる間、日本の学生たちにほとんど会わずに終わってしまったが、はからずも、帰国後にご対面となった。さすがジョージタウン大学に来るだけのことはあって、皆、個性があって日本のことをよく考えている。一度でも日本を離れる経験を持つと、祖国を相対化する目が養われて、ものの見方に深みが出るものだ。憲法改正や自衛隊のあり方など、日本の将来について議論を重ね、お姉さま、ちょっとご満悦。必ずしも私とは意見が一致しないのだが、こうして酒の席でポリティカルな会話をしていくことが大切。彼らなりに深く考えていることがわかり、日本の将来は少し大丈夫、かな?と思わされた次第。でも、日本で組織に戻ると、この才能が埋没してしまうのだろうか。だとしたら残念。
さて、ターキーの出来は上々。冷凍だったが、柔らかくてジューシーだった。おそらく朝には39度近く熱があったはずなのだが、調理場に立つと、ついつい仕切り屋の血が騒ぎ、ずっと肉きりおばさんをしてしまった。
で、問題のソースだが、もっとも人気が高かったのは、な、なんと、水溶き片栗粉でとろみをつけたもの。きゃあ、マーサおばさんに教えてあげたい。でも、裁判でそれどころじゃなかったっけ。