8月○日 危ない「冬ソナ」現象

 朝、K子から突然電話が入った。
 「昨日から東京にいるのよ、実は・・・」
 で?
 「今日、ランチでもどう?Mにも連絡とりたいんだけど、電子手帳をアメリカにおいてきてさ」
 Mもその日は仕事がオフで、13時から井戸端会議パート2を開いた。
 「どう?久しぶりの日本は・・・」
 「なんだかさあ、アメリカのテレビも公正さを欠いていて問題多いけど、日本のテレビ、どうにかなんない  の?オリンピックばっかりで、見るものないのよね。一回見たらわかるんだから、どこの局でも同じこと  を放送するのは止めて欲しいなあ。他にも語るべきニュースがあるでしょ」
 そうなのである。私も同様のことを感じていた。オリンピックの感動は味わいたいが、朝から晩までプロ野球ニュース状態では息がつまる。先日でかけた秩父の温泉宿でも仲居さんが「どこ回してもオリンピックばーっかりでしょ」と話しかけたのを思い出す。終戦記念日にあたって、どんな特番があるかと期待していたが、このテーマについて考えさせてくれた局はなかった。
 「それとさあ、この『冬ソナ』ブームは何?一回みたけど、どこか面白いか、さっぱりわかんない」
 「私もなの。かったるくってさ。母親の世代が昔の日本を思い出して、はまっているらしいんだけどね」とMも同調した。
 昼ドラの「愛の嵐」やかつての「おしん」に見られるように、自分たちが超えてきた時代設定での苦労話が高視聴率を誇る素地はある。だが、このブームは決してノスタルジーだけではないと私は見ている。どこかで、先進国日本で暮らす人間として余裕、とでもいえばいいだろうか。あるいは、近代化を遂げて、日本が儒教社会の呪縛から解き放たれたことに対する確認作業。それは駐在員の妻としてアジアに滞在したときに私の同世代たちが抱くある種の優越感とも似ている。最初は隣国韓国の生活を覗くくらいの感覚で、見ているうちに同情を覚え、昔の日本社会と重ね合わせ、同時にそこを超えてしまった安心感にも似た優越感に浸る。
 それと、我々3人ともヨン様は好みでないのだ。なんとなく頼りなく、正統派のハンサムに何の魅力も感じない。しかも、私たち3人は、彼が韓国の男性の典型でないことを知っている。
 彼は日本でいうジャニーズ系だ。韓国の若者が皆あんなにナイーブでフェミニストか、といえばさにあらず。あと10年もすれば大量生産されるかもしれないが、いまは我々が目にする俳優とサッカー選手くらいで、実際の韓国の男性は、日本の中高年サラリーマンと似た要素が多いのが実情だ。儒教思想に裏打ちされた男尊女卑的考えが染み付いている分、かつての日本男性よりはるかに女性には辛くあたることを知っておくべきである。趣味もなく、女性を喜ばせる術も知らない。少なくとも、私の知る40代、50代の韓国の男性は皆、女性の心がわからない連中ばかりである。
 日韓の壁がドラマによって取り除かれるのは喜ぶべきことであるが、ヨン様一人がすべてと錯覚するのも危険である。韓国の男性=あんなにナイーブな男性と信じてはいけない。思い出して欲しい。イラクで人質にとられ、泣き叫んで命を落とした人の映像を。ああいう表現の仕方は彼らにとっては非日常ではないのだ。
 ヨン様をきっかけに韓国に興味を抱いたのなら、あらゆる側面から韓国について勉強し、日帝時代の日韓関係を知ってほしいと思う。そして、彼らの中に流れる熱い血、どろどろとした憎しみ、日本に対する複雑な感情について熟考すべきである。
 みかけだけの優しさに翻弄されず、内に秘めた民族の血をしっかりと受け止めるだけの強い女性でいてくれればいいと思う。免疫のない日本人女性が韓国人男性と恋に落ち、ヨン様との落差に、傷が深まらないことを祈るばかりの姉たちである。