今日は私の誕生日だ。大学生のころから誕生日を尋ねられるたび、こう答えてきた。
「8月10日、八頭身と覚えてくだされば簡単です」
これを聞いた人のほとんどが苦笑したものである。私の世代では八頭身は美人の条件、希少価値だったからだ。八頭身なんて、いまどきの若者の間では既に死後。こんな受け答えじゃ、「サムッ」と言われて終わりだろう。
しかし、それ以前に、こういう会話も久しくしていないような気がする。率直に年齢を聞かれるのも困りものだが、誕生日を尋ねられないのも寂しいものだ。こういう何気ない変化が、実はオバサン度を証明しているのだ。誕生日を尋ねあって会話が盛り上がったのは20代の特権だったのかもしれない。
アメリカでは、誕生石から会話のきっかけが生まれることがある。私が「ペリドット」の指輪をしていると、
「あなた、8月生まれなのね。何日?」
と地下鉄で隣り合わせになった人でさえ話しかけてくることはめずらしくない。彼女たちは「ペリドット」が8月の誕生石であることを知っている。それほどに誕生石を身につけることがポピュラーなのだ。
昔は8月の誕生石は、「めのう」だったと記憶している。少なくとも日本ではそうだった。小学生の時だったか、友人と誕生石の話になり、自分の誕生石が「めのう」という地味な石でがっかりした。輝かしいダイヤモンドや真っ赤なルビーが誕生石という友人を羨ましいと思ったものだ。
いつ、どのタイミングで「ぺリドット」が浮上したのかは定かではない。どちらも8月の誕生石には違いなく、グローバルマーケットにおけるトレンドとして、「ペリドット」が優勢なのかもしれない。
私自身は90年代に香港の青空市場で初めて黄緑色の石をみつけ、それが「ぺリドット」とのいう名前だと知った。注意していると、母のジュエリーボックスには存在しなかったこの黄緑色の石は、日本でもファッション誌などを賑わすようになる。しかも、これが8月の誕生石とわかったために一昨年、つい大枚をはたいてフランス製の指輪を購入してしまったのだ。おかげで、それにあわせて、黄緑色の服や小物を買いそろえる羽目になった昨今である。
さて、誕生日といえば、今年は免許書き換えの節目にあたる。ゴールドメンバーの私は書き換えの頻度が低い。知らない間に手続きをとる場所が内幸町から神田に移っていた。神田にそんなところがあったっけ。ようわからんその場所に、炎天下の中、向かうこととなった。
受付締め切りの16時5分前にたどりついた私は、額に汗しながら窓口に並ぼうとすると、態度だけ偉そうなオッサンがこう言って私を急かすのだった。
「いまごろ来たの?時間がないから早く並んで」
16時が受付締め切りということは、お店でいえばラストオーダーである。それまでに受付を済ませれば、なんの問題もないはずだ。退屈な仕事をさっさと終えて、早く帰りたいという怠惰な心根がみえみえだ。
所詮、天下りのくせに・・・。そう、彼らは警察からの天下りなのだ。税金で働いているのだから、もっと腰を低くしろッつゥの。
ここの天下り役人はいくら受け取っているのだろう。公証役場では一日に2人しか人が来ないのに、2千万円も受け取っているのだそうだ。本来、天下り役員は子育ても終わっている年齢だ。退職金も受け取っているのだから、年収は500万円でも十分である。名刺と肩書きがついてまわるのだから、メンツが保たれるだけでも有難いと思うべきだろう。なのに、この怠惰な勤務態度。我々の血税をこんな奴らに2千万円も支払うなんて、とんでもない。義務教育の予算を削る前に、こういうオッサンたちの給与を下げるようじゃないか。
メディアは天下り役人の給与リストを作って公表すべきだ。そして、怠惰な奴を見かけたら、皆でこう罵声を浴びせよう。
「あんた、所詮、天下りでしょ!」
誕生日にこんなに怒っているなんて! 歳を重ねるたびに、社会への怒りが増えるのは私だけだろうか。