ウズベキスタン映画祭

ウズベキスタン共和国は中央アジアに位置する旧ソ連の共和国のひとつであり、サマルカンドは美しいモスクを持つシルクロードの街として知られています。昨秋、アメリカ政府がアフガニスタンへの報復攻撃を決め、ラムズフェルド長官が訪れたことで、日本の方々にも注目される存在になりました。おそらくアフガニスタンの北で国境を接する真ん中の国として、テレビを通して地理的にも把握されたことと思います。そのウズベキスタン共和国がどういう国で、人々がどういう生活を送っているのか。それを知って頂く意味でも、今回のウズベキスタン映画祭はひとつのチャンスと考えております。

私が出演した映画は「オイジョン」、お母さんという意味です。私が演じたのは、そっくりな顔を持つウズベク人と日本人の二役です。物語は別紙に記した通りですが、昨秋、黒海沿岸の街アナパで開かれた「第10回キノショック映画祭」で「審査員特別賞」を頂きました。この映画祭は、旧ソ連の共和国とバルト3国の間で競われるものです。「キノ」とは「映画」の意、ショックはショッキングムービー(体制批判の映画)のことで、当時はそういった映画に価値があったのです。しかし5年目あたりから性格が変わってきました。各共和国の映画人が予算削減などの悩みを抱えながら、それを互いに共有し、また刺激し合うことが映画祭の意義となっていったようです。ソ連には映画省、そして映画大臣が存在しました。ですから、各共和国にも映画大臣が存在します。もっともロシアでは昨年プーチンが経費の無駄として文化省に吸収させてしまいました。また、キノショック映画祭が開かれたアナパという街は、ロシアのカンヌにあたります。ただし、ロシアの避暑地にはアラブの富豪たちの豪華船は存在せず、静かな田舎町です。映画人たちは昼までビーチで泳ぎ、午後は作品を見てまわるというのんびりとしたスケジュールでした。審査の結果、昨年グランプリに輝いたのは、ラトビアとエストニアの合作映画です。作品の完成度の高さもさることながら、隣国として仲の悪い2国が力を合わせて映画を完成させたという事実も、映画祭の性格上、意義深い作品だったといえます。

さて、なぜ私がウズベキスタン映画に出演することになったか、その経緯について説明します。私はこれまで旧東欧・ソ連、そしてアジア諸国を歩いてきました。そんなご縁で中央アジアの国を呼び込んだのでしょう。ロシア語通訳でムサコフ監督の友人である児島宏子さんから突然、映画主演の話が舞い込んできたのです。これには理由がありました。ウズベキスタン共和国は資源に恵まれず、外貨の乏しい国です。米軍に空港使用を許可した見返りに米ドルが入ってくるであろう将来は別ですが、この映画を制作するにあたっては決して潤沢な資金があったわけではなく、日本のプロの女優に依頼するには条件を満たしません。ここで求められたのは演技力よりも、一人で現地に飛び込んで映画を完成させる行動力でした。結果、私は髪振り乱して走り回り、友人を巻き込んで日本でのロケを敢行させたのです。撮影の過程でも中央アジアの場当たり的な気質にくわえ、共産主義政権時代の負の遺産が災いすることもしばしばで、キャスト、スタッフともに巻き込んだ友人たちには、多大な迷惑をかけたと思います。日本人の夫役は、同じくTBSの「スポーツ・アンド・ニュース」キャスターの青島健太さんにお願いしました。貴重な時間をやりくりしての青島さん出演のシーンは決して多くはありませんが、その容姿と明るい性格で作品を奥行きのあるものにしてくださいました。その他、協力してくれた友人たちには感謝の気持ちでいっぱいです。
秋尾沙戸子