母校の校舎が壊される前にお別れの儀式が行われるというので、行ってみることにした。
私が卒業した都立新宿高校は、渋谷区から新宿区に移転した。といっても、もともとグランドのあった土地に新校舎が建てられたので、すぐ隣に引越しただけのことである。
旧校舎の校門は、明治通りをはさんで新宿高島屋の向かい側にある。日通とHISの間を入っていった、その奥だ。5階建ての校舎は昔のまま。遅刻ぎりぎりに5階まで駆け上ったことが懐かしく思い出される。1年生を5階で過ごし、1年ごとに1フロアずつ下がることになっていた。
――こんなに小さかったかなあ。
上から校庭を見下ろし、友人と感慨にふけった。図書館も狭く感じる。身長は変わっていないのに、どうやら目線が違っていたらしい。何もかも小さく感じるのは、人生経験のなせる技か。
30年近くも昔の記憶なので、蘇るのに少し時間を要したが、こうして校舎に足を踏み入れると、1枚、1 枚、思い出がフレーム入りのフォトグラフとして浮かんでくる。コンクリートをこだましたエレキギターの音が聞こえてくる。目にごみが入ってコンタクトレンズを入れようとしたとき、指先のレンズを風がさらっていったことも懐かしい。
式典の司会はニッポン放送の上柳アナが担当した。衆議院議員の塩崎氏がやってきてスピーチをした。坂本龍一さんも先輩の一人だが、姿は現さなかった。当時よりずっと低く見える朝礼台で、入学式の時に校長が話したことは妙に鮮明に覚えている。
「新宿南口から校舎にたどりつくまでに、たくさんの連れ込み宿がありますので、お父さん、お母さんは心配かもしれませんが、こうしたものを若いうちから見ておくことは免疫ができて却っていいのです。(中略)本校の卒業生には、共産党の不破さんと、木枯らし門次郎でおなじみの中村敦夫さんがいます」
そんな旅館街も高島屋の建設に伴う再開発でずいぶんと姿を変えた。店や旅館が閉めてしまう前に聞き書きを試みればよかったと少し後悔している。いよいよ、この校舎も壊されるのだが、さて、次は何が建てられるのであろうか。
陽があたっているとはいえ、吹きすさぶ風の中、校庭で行われた式典に和服で出席するのは、足袋を着用した足が凍えてつらい。3時をまわったところで、私は歌舞伎座へと向かった。
中村勘九郎さん最後の舞台は人気で、チケットを確保するのに苦労した。待ちに待った結果、土壇場になって1階の真ん中の席が手に入った。なんという幸せ。かぶりつきで最後の勘九郎さんの表情が見られるのだ。演題は次の通り。
御存 鈴が森
阿国歌舞伎夢華
たぬき
今昔桃太郎
「阿国歌舞伎夢華」の玉三郎さんは、やはり美しかった。最近は福助さんの女形がお気に入りの私。二人のような艶っぽさは、どうやったら身につくのか。かつて「ナイトジャーナル」にゲストとしてベジャール氏をスタジオにお招きした時、事前に彼の稽古の様子を見に行ったことがある。その際、素顔の玉三郎さんも見学されていて、そのしなやかな座り方に感動した。別のテーマで笑也さんにご登場いただいたときに訊ねたところ、そうした所作を身につけるには、日舞を学ぶしかないのだと言われたのを思い出す。
「たぬき」の三津五郎さんは見事だった。襲名以来、演技に深みが出てきたと感じているのは私だけではないと思う。勘九郎さん最後の挨拶でも、一足先に八十助さん卒業を経験した先輩として、隣で見守っていた温かいまなざしが印象的だった。
「桃太郎」は勘九郎さんの親友、渡辺えりこさんが脚本を担当。途中、過去の舞いを見せた中の連獅子は千秋楽のみで披露されたらしい。七之助君との連獅子をワシントンで見た私としては、感慨ひとしおであった。
そして最後の舞台挨拶。真ん中のかぶりつきだから、表情をリアルに観察できる。もちろん、スタンディング・オーベーション。30分くらい続いたであろうか。鳴り止まぬ拍手の中、勘九郎さん本人が自ら幕引きを行ったのであった。