上賀茂神社では紀元節に、武道や蹴鞠の奉納があります。神事の前に、日の丸掲揚。
その後、金毛院の月釜、そして、吉田家へ。日の丸が掲げられていました。
「日の丸掲げるとこ、減ったよねえ」と同世代の間で話題に。「金具もないからね」
我家も、東京に転勤してすぐ社宅にいたころは掲げていたような。でも、いつごろからか。東京の民家で見かけることはなくなりました。
世界各地を歩くと、自分の国旗を誇りに思えないのって、みじめな気持ちになるんです。だから、掲げてみたい衝動にかられたことが何度もあるのだけれど、左翼色の強いジャーナリズムでもアカデミアでも、右翼の烙印を押され、面倒なことになるから止めてきた私です。
オリンピックのときだけ日の丸が出てくるのって、やっぱり変。国旗に罪の意識を刷り込んだ、戦後の偏った空気も。そう感じている人が増えてきて、一気に右傾化していく危険をわかっているのだろうか、むやみに日の丸批判をしてきた人たち。戦争をちゃんと検証することをしないで。
帰りしな、六角通の自販機の前で、こんな光景が・・・。金具なくても、掲げている人がいるのです。この光景をどう見るか。いまの日本では、両極端に分かれるだろう。戦争の実態をわからないまま、ひたすら感覚だけで。
戦争にいたるまで、戦争中に何が起きたか、いまこそ知るべき共有すべき。戦禍に巻き込まれたら、自分んたちの暮らしがどうなるのか。想定する力が求められているのです。