副島種臣「不動明王」

落ちこぼれ書塾生でも、稽古の前日と書展の前には筆を持つもの。で、昨日から和紙の前で奮闘中。今日が稽古。明日が提出する作品を先生が選ばれる日。

今年の書展のテーマは「近代書史」。よって、これまでのように、空海の風信書、道元の普勧座禅儀、蓮如(親鸞の歎異抄がないため)の歎異抄の臨書というわけにはいかない。「近代」で唯一好きな副島種臣に挑む私だが、よせばいいのに、「不動明王」を選んでしまった。もっと書きやすいのがほかにあったのに、「お護りになるしなあ」と石川九楊先生に言われて、つい決めてしまった。

隷書的要素ももった不思議な文字だ。しかも、滲みまで再現せねばならない。紙によって、かくも滲み具合が違うとは! ここ数年、(軸にして家に掛けるため)小筆で乗り切ってきた私は、墨の分量も計算できない。しかも今日は雨で湿度が思い切り高い。紙の湿気が半端でないから、ますますだ。なんでここまで滲むのかな。

やっぱり高野山で一人合宿をすればよかった。6月に伺ったとき、「不動明王」と書かれた半切が何枚もお部屋にあったのを思い出す。無量光院の土生川先生がお書きになったのだと後で聞いた。かくなる上は、青山墓地の副島種臣のお墓に手を合わせ、お力添えを頂こうか。

なんて他力に頼るなぞ、いかんいかん。うーん、せめて今月に入ってから毎日書けばよかったのにね。でも、ずっと次回作の原稿で引篭もり状態。今月中に第一稿を仕上げねばならぬ身。両立しないんだなあ、これが。俳句だとお風呂の中でも浮かぶけど、書も原稿も紙(あるいはPC)の前に拘束される点では縛られ具合も苦しさも似ている。あーあ。

愚痴につきあってくれてありがとう。また墨をすります。