忍耐力のある大きな岩
インドネシア
メガワティ大統領就任
スハルト政権末期、インドネシア国軍には二つの作戦が存在した。名づけて「緑の龍作戦」と「赤い龍作戦」。緑はイスラームを意味し、アブドゥルラフマン・ワヒドを、赤はインドネシア民主党の党色で、その党首メガワティ・スカルノプトゥリを指していた。作戦の目的は当時、スハルトを脅かす存在となった二人を追い落とすことだった。
だが、まもなくスハルトは失脚、「ミニスハルト」といわれたハビビも短命政権に終わる。そしてワヒド=メガワティ政権が誕生したのだった。この二人が国民協議会の選挙を経て政権を発足させたことは新しい時代の到来を予感させ、人々は歓喜したものだ。
それから一年半、しかしワヒド政権はあっけなく倒れた。ワヒドの発言に振り回され、当初から混乱を繰り返した閣内だったが、大統領資金調達疑惑を機に弾劾を求める声が急速に高まっていった。ついには非常事態宣言を発令するところまで追い詰められた。結局、軍と警察に見放され、罷免された格好だ。そしてメガワティが大統領となった。
「反体制のシンボル」としてともに注目された二人だが、実は対照的な側面を持っている。彼が「否定されたことのない天才的お坊っちゃん」なら、彼女は「打たれ強い受難の令嬢」なのだ。
ワヒドは会員三千万人、同国最大のイスラーム団体ナフダトゥール・ウラマの総裁だった。その創始者を祖父に持ち、宗教指導者としては絶対だった。その力関係をそのまま政治にも持ち込んだことが仇となった。彼は自分に意見する人間は信じず、次々に閣僚を解任してしまったのである。かつての朋友メガワティとの関係もこじれた。くわえて信者を政治目的に動員するという禁じ手まで講じた。だが、かつてと違い、民主化の移行期にある同国では国民協議会の力が圧倒的に強くなっている。独裁者を生まない代わりに、指導者をいつでも解任できる。ワヒドは民主化の波に自ら溺れたのである。
一方のメガワティは初代大統領の長女として生まれた。だが、その「令嬢人生」は二十歳の時に終わるのだ。父スカルノが権力の座を奪われ、ある日突然、家族も宮殿を追われた。国中が反スカルノの空気に包まれたその時代を生きたことが、現在の彼女を形成している。
「メガワティは激流の中で、何があってもたじろがない大きな岩だ」。
拙著『運命の長女』(新潮社刊)の扉裏に記したこの言葉は、同国の映画監督エロス・ジャロットが評したものである。いまやメディアの中で一人歩きしているが、スハルト政権時代に彼が私に語ったこの比喩は、メガワティをうまく言い当てている。
スハルトを批判したり政権に擦り寄ったりを繰り返したワヒドと違い、メガワティの姿勢は一貫していた。執拗な弾圧にも屈することはなく、反撃もしない。沈黙の陰に鋭い洞察力を持ち合わせ、川底でじっと流れを見極めていたのだ。その時には首をかしげる彼女の判断も、後に再評価されたことは珍しくない。
その川底の岩が動き出す時が来た。ワヒドのように議会を敵にまわすことはないだろう。メガワティは人の話を聞き、人を動かすのもうまい。
現にこの一年半、ワヒドの傍で多くを学んだという。
彼女は新内閣を「ゴトン・ロヨン(相互扶助)内閣」と命名した。各勢力に配慮した人事で、一丸となって国家再建に取り組む姿勢を打ち出した。経済閣僚には専門家を配した。経済回復を最優先し、特別チームを結成する。国軍関係者も入閣させてはいるが、アチェなどの分離独立の動きには話合いで臨み、国家統一を守り抜くつもりだ。
今回、一年ぶりにメガワティに会った。自信に裏打ちされたその表情には、ゆとりさえ感じられた。この母のような笑顔が、人々の「最後の希望」なのだと私は思った。
混乱の続く今だからこそ彼女に迅速な決断を求めたい。慎重なあまりの熟考は彼女の持ち味だが、政治は生き物だ。世界潮流も待ってはくれない。閣僚人事の発表を大幅に遅らせた段階で、ルピアが低迷、株式市場も大きく下げた。
その奔流は未だ続く。大統領となった今、舵取りが彼女にとって新たな試練となる。