ブッシュ政権に何も進言できない日本政府もだらしないが、米国の策略に乗って報じてしまう日本のメディアも同様に情けない。
その典型が4月10日付朝刊の一面だ。全紙一斉にフセイン像が直角に倒れる写真を掲載した。本紙にも早々と「フセイン政権崩壊」「バグダッド陥落」の見出しが躍った。
前夜テレビの中継で一部始終を見守った人は、その紙面に違和感を抱いたに違いない。像を倒そうと試みたのはわずか数人のイラク民衆であり、それを引き倒したのは米軍の戦車だったからだ。像の首に鎖をかける際、米兵が頭部を米国の星条旗で覆った瞬間を見た人も、読者には大勢いたはずだ。
なのに、本紙のどこを探しても、米軍の戦車や星条旗をかける米兵の写真はない。あるのは、笑顔の市民、焼け落ちたイラク国旗、破かれた大統領の肖像画、倒された銅像に駆けのぼるイラク人たち、花を贈られる英軍の女性兵士、そういった写真ばかりだ。民衆が自ら自由を勝ち取ったかのようである。おかげで、米国による空爆で家族と両手を失ったアリ君の痛々しい写真までもが、独裁政権崩壊に伴う当然の代償と映ってしまう。
鬼の首をとったようにラムズフェルド国防長官は語った。「ベルリンの壁が崩れ、鉄のカーテンが落ちたのを思い出さざるを得ない」
89年、東欧革命で民衆がレーニン像を倒した光景には世界中が感動した経験がある。その記憶になぞらえて、圧政の象徴であるフセイン像を倒した映像が世界中に配信されれば、「大義なき戦争」も民衆の勝利に見せかけることは可能だ。
この作意は本紙編集者にも見透かせたはずである。数多あるフセイン像の中からパレスチナホテル前の像が選ばれた点も見逃せない。そこは各国報道陣の宿であり、しかも前日には滞在中の記者が狙撃され米軍が世界中から非難を浴びたばかりだ。そのホテルの真ん前でいきなり一部民衆が立ちあがりフセイン像を倒すのは出来すぎではないか。それが自発的かどうか疑わねばなるまい。これまでにも途上国のデモが実は扇動されていたケースはいくらでもあり、その経験則も働くはずだ。
ようやく翌日の朝刊に「市民蜂起、米軍が演出」という記事が出た。しかしえてして読者は写真の衝撃に引きずられるものだ。せめて、本紙10日付朝刊一面の写真説明に「米軍の装甲車が倒した」ことを明記してもよかったのではないか。少なくとも毎日新聞は社会面は星条旗の写真を大きく取り上げていた。
入ってくる情報を真に受け、戦況や勝敗ばかりを追いたがるのは、伝える側にとってこの戦争がどこか他人事で、ゲーム感覚で観戦しているからとしか思えない。紙面構成者に求められるのは、戦争当事者の欺瞞を見抜く洞察力と歴史観だ。
戦勝ムードに沸く米国は、これからも武力を行使して中東地域の反米政権を壊していくだろう。再び戦争になれば同じことを繰り返す。せめて日本のメディアは冷静な分析を心がけてほしい。日本人が戦争への怒りを忘れたら終わりだ。