「横須賀に米軍基地があって、良かったね」
友人との会話である。総理を動かしたのが皮肉にも米軍だとすれば、私たちはその幸運を喜ばねばならないが、いかなる理由があろうとも、浜岡原発停止を決めた菅総理の英断は歓迎しよう。未曾有の震災の後、これで日本が新たな一歩を踏み出すことになるからだ。この勢いで太陽エネルギーへとシフトできるかどうかは、国民の声の大きさにかかっている。
「次は”もんじゅ”。止めてほしいね、トラブルが続いているし。でも、福井県周辺には米軍基地がないし、どうしようか」
「だいたい誰が活断層の上に作ろうって言い出したんだろうね。浜岡なんて、どう見ても危ないのに」
このところの私は 原発が導入された経緯を図書館に通いながら文書をたどって調べている。当時の国際的な原発フィーバーを知れば知るほど、資源のない日本が原発に飛びつくことは誰にも止められなかったように思える。情報の少なかった時代、「放射能も癌も10年もすれば、薬がみつかる」などと言われれば、地元の人々も「そうかな」と思ったに違いない。もっといえば、鉄腕アトムのような賢いロボットが開発されて、壊れたときも修理してくれるだろうと発想してもおかしくない、そんな時代の勢いがあった。
最初に東海村を選んだのは、原発導入に前のめりだった正力松太郎である。初期には誘致に国会議員がからむことは少なくなかったが、しかし浜岡原発については、中部電力が独自で動いたようだ。三重県の候補地が反対運動で行き詰まり、他社より出遅れた形で静岡県を選んでいる。
そもそも誘致には過疎地が狙われやすい。原発建設が始まれば、農家は労働者のために民宿を始め、漁民には補償金が支払われる。電力会社は道路や公共施設を作ってくれるし、社宅用に土地を購入してくれる。地元には雇用がうまれ、民宿も店も賑わい、原発バブルが沸き起こる。地元議員には祝い金も支払われ、自治体は補助金で潤う。沖縄の米軍基地をめぐる問題と構図が似ている。原発建設が終われば、潮が引いたように静かになり、バブル景気が恋しくなる。企業はそこを狙う。そして、もう一基ーー。麻薬のようなものだ。
それを止めるとすれば、今回のような天変地異しかない。これほど酷い目にあったのだから、思い切って太陽エネルギーにシフトしても、国際社会から文句は言われまい。さすがに「全廃」と言えば総理が原発推進派から刺されることもあるやもしれぬが、3基くらい止めたところで、命の危険はないはずなのだ。
政権が交代してもなお、米軍の指示待ち総理しか持てぬ日本に進化はないのだろうか。私たちが180度生き方を変えない限り、津波に呑み込まれた人々の無念ははらせぬというのに、どうしたものか。