今日は3月10日。東京下町空襲で命を落とした方々のご冥福を改めてお祈りします。戦後75年間の平和は彼らの犠牲の上に成り立っていることに思いを馳せて感謝を捧げることが、いまの日本を守ることにつながると信じています。
拙著『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』第1章に書いたのは山の手空襲(5月25日)についてでした。同時に、建築家アントニン・レーモンドがユタの砂漠に空襲のための実験家屋を造ったことは第2章に、米軍が夜間無差別爆撃に至った経緯は第3章に記しています。
75年前、米軍が夜間無差別爆撃に切り替えた背景には、米軍の成果主義がありました。原爆の開発費20億ドルは有名ですが、B29と焼夷弾の開発には30億ドルも費やしていたのです。空軍の独立をかけて、どんな手段を使ってでも、空襲で成果を出さねばならなかった。その犠牲になったのが日本人でした。
お手元にある方は、ぜひ読み返して。大国の思考回路を知ってほしいのです。今回のコロナ騒動で、ウィルスが細菌兵器になることを全世界が知ってしまいました。いま戦争が始まれば、細菌兵器がカギとなるでしょう。それを食い止められるかどうか。想定力が問われます。
京都に来てから親しくさせていただいていた女性(82)が昨日、荼毘にふされました。命の重さについて考えることの多いこの頃。先人に感謝しつつ、日本の無事を祈ります。合掌。
追伸:写真の帯は、文庫版初版のもの。