手間隙かける美しさ

ジョージタウン大学にいたころ、韓国の男性外交官と議論になったことがある。何の文脈だったか、「日本のラッピングは過剰で無駄だ」と言い出したからだ。 

日ごろは仲良くアメリカ的価値に首をかしげていた私たちだったが、私はこのとき真顔で反論してしまった。「包装に手間隙かけるのは、日本の文化である」と。 

もちろん、デパートなど日用品の買い物での過剰包装は認めるが、彼の話は、ギフトにおいて、丁寧に包みすぎることが時間の無駄だということだった。

 日本人が丁寧に包装するのは、相手の立場に立って、開けるときの気持ちを想像するからだと考える。受け手もまた、包みを開けながら贈り手の真心を感じ取る力があるからに他ならない。

 中元歳暮もさることながら、香典返しひとつとっても、ただ送りつけるのではなく、何を贈られれば嬉しいか。日持ちがして、収納するのにかさばらず、価値あるものを捜し出し、思いが伝わるラッピングが施されていることこそ、意味があるのである。

 一筆書き添えられていない年賀状に興ざめするのと同じように、少なくとも、受ける側には、その手間隙を汲み取る感性は備わっているのだ。

 相手が喜ぶよう思いを馳せ、そのためには手間隙かける美しさ。これは先輩たちのコミュニケーションにおける知恵であり、日本の誇るべき文化だと私は考えている。