3月31日 アメリカの遺書

大学時代の友人が再婚した。彼女はアメリカ留学を経て30歳くらいから国際機関で仕事をしているが、アメリカで離婚と再婚を体験したことになる。相手はいずれも日本人。だが再婚相手はやはりアメリカや海外赴任が長く、マルタイナショナルは感覚を理解できる人のようだ。しかも、もう成人した子どもがいるので、友人は子育てを経ることなく、いきなりステップマザーになったのである。
 先日、彼女の夫が遺書を作成することになったという。再婚した彼には先妻との間の子どもがいるので、作っておくべきだということになったのである。その遺書が面白い。ありとあらゆる想定が必要で、さすがシミュレーション教育の行き届いたアメリカだと思い知らされた。たとえば、彼の不動産などの資産を妻に相続するとしたら、彼女が死んだときにはどうなるのか。息子に資産を残すとしたら、彼が結婚したときはどうなるのか。つまり、息子が死んだ場合、孫がいなかったら財産をそのまま、会ったこともないお嫁さんに譲るのでいいのか、それとも再婚相手が健在なら、その継母に移すのか、あるいは寄付するのか。そうしたシミュレーションを50年先まで行ったうえで、ありとあらゆるケースに対して、故人の「ウィル」を尊重するというわけだ。
 これは妙案である。人生ゲームのように、自分と縁のある人々の順列組み合わせを考え、そこに故人の意思を反映させるのである。遺書というと縁起が悪いと考えがちだが、死んだ後も脈々と故人の考えが貫かれるのだから、それこそ「ウィル」なのである。日本でも皆、考えてみたらいい。一度相続したら、そこからラグビーボールのように、わけの分からない方向に流れていくのではなく、故人が納得のいく方向で財産が生かされるのである。
実は、この話が出たのは、私たちの共通の友人の近況話からであった。その友人の場合、彼女の家に資産があるのだが、夫との間に子どもがいないため、お母さんが相続に難色を示しているという。つまり、娘が早死にした場合、全額がその夫のものになると思うと釈然としないというわけだ。いっそ離婚でもしれくれれば、生前贈与も考えるのに、と彼女のお母さんはもらしているらしい。
 こうした考えはよく耳にする。自分たちが築き上げてきた財産を血のつながった孫が受け継ぐならいいが、他人に持っていかれるなら別の子どもに回したい。日本の高度成長期を支えた親なら、当然の発想である。そして少子化が進む日本ではますます、こうした問題に直面することになるのであろう。
 そこで、夫にならって友人も「ウィル」作成を考えるという。彼女の場合、縁ができたばかりのステップ・サンに、たとえば彼女所有のアメリカのアパートを譲るのか、それとも寄付を考えるのか。それとも実弟に譲るのか。だが、その夫婦には子どもはいない。寄付の場合、よほどその団体を吟味して、ここぞというところが見つからないと実行に移せない。
 私はどうするのだろう。幸い私には姪がいるので彼女に譲ることにしよう。しかし彼女が結婚した場合はどうしよう。一人で生きていくなら多少の蓄えも役に立とうが、彼女がとんでもなく甲斐性のない男として別れるときに吸い取られたのではたまらない。
・・・などと皮算用をしてみたところで、現実的な問題は、それだけの資産を残せるかどうか。自分で食い潰して、せめて彼女のお世話にならないことがやっとかもしれない。
 いずれにせよ、「ウィル」の作成は、自分の人生設計をあれこれ思い描く意味でも、日本で流行らせる価値はある考え方ではある。