大人になろうよ
金曜日は東京新聞コラムの原稿の締め切り日である。いつも余裕を持って提出したいと考えているのだが、刻々と変わる情勢の変化や事実関係の確認作業に追われて、どうしても締め切り間際に提出することになってしまう。
今回もそうだった。SARSは“有事”であり、内閣に対策本部を置くべきだという提案をするにあたって各省庁に電話取材を重ねたら、果てしない時間を費やすことになってしまった。
その最たるものが厚生労働省とのやりとりだ。私の考えが杞憂にすぎず、すでに策が講じられていては申し訳ない。そこでいつくか確認をとろうとしたのである。たとえばSARSと疑わしき症状が出た患者はどこにアクセスしたらよいのか、現状では不親切なのでわからない。空港で各都道府県の窓口リストを配ってはどうかと聞いてみると、「それは検討しているが、間に合っていない」という。他にも質問を投げかけると「素人に余計なことを言われたくない」と怒り出す始末である。この高圧的な対応は、懇切丁寧な都道府県の窓口とはあまりにも対照的だ。厚生労働省は中央から行政指導する立場であって、民意を反映しようという意識はないことが露骨に伝わってくる。
細かい事実関係の確認が終わってようやく解放された私は、友人との待ち合わせ場所に急いだ。私が会おうとしたのは、大学時代から縁があった恵さん、現在は某女性誌の副編集長を務めている。彼女と私は同じ大学に通っていたわけではない。けれども、学生時代それぞれESSに属していた私たちは、あるイベントを通して知り合った。たしか「オープン・ディス」と呼ばれていたと記憶しているが、他の大学のESSと交換でディスカッションをするイベントが定期的に開かれていた。たとえば「安楽死」などをテーマに、英語で自分の意見を述べて話し合うというものである。
ESS に入る人のほとんどは、留学経験などはなかった。むしろ今は話せないが、英語を手段として自分の考えを伝えられる人になりたいという志を掲げて入部する。大学に席を置くのだから、クラブ活動を通して英語力を身につけたいという人々が集まっていたのだと思う。少なくとも東京女子大QGSはそうだった。
「オープン・ディス」は年に数回開かれていた。8人ずつくらいに分けられるので、同じテーブルにならない限り深く話すこともない。特に一年生のときには不慣れで不安。新参者同士、軽いライバル意識も含めた不思議なシンパシーを抱いて、一年生の存在が記憶に鮮明に残るものだ。中でもはっきりと覚えているのが恵さん。あとは俳優の塩谷君とも別の機会に同席した。あのうつろな眼差しと、何かあったらいつでも「SHIOYA」を思い出してね、と寄せ書きに書いたメッセージが個性的で印象に残った。現在、二人ともがメディアの中で活躍しているところを見ると、当時から原石はすでに輝きを放っていたということになる。
恵さんと友人としてじっくり話すのは実は19年ぶりかもしれない。3年前に一度、時間を共有したときは仕事の延長だった。20代半ばで彼女が大きなおなかを抱えていた姿は記憶に鮮やかだが、その時の息子さんがカナダに留学しているとは。人を育て上げた彼女の余裕が、私にはとても眩しく思えた。
この年齢になると、子育てを経験した女性はどっしりとしていて圧倒される。そして、どこか温かい。自分を犠牲にして子供の欲求を引き受けざるを得なかった日々が彼女たちを強く大きくしたのだと思う。もっとも誰もがそうした包容力を持ち合わせられるものではなく、恵さんは志が高く、年齢とともに上手に成熟していったからに違いない。副編集長というポストも彼女に別の忍耐力を与えたのかもしれない。本人も「私って意外と後輩を育てるのが好きかもしれない」と語っていた。
高校や大学の同級生の中には、他人の評価でしか自分を測れず、子供を見栄の道具にしてしまっている人も少なくない。そう女性たちと話すと、自己中心的で疲れてしまう。彼女たちが求めているのは、自分を肯定し、自分の生き方正当化してくれる存在なのだ。
7年ほど前、こんなことがあった。もう何年も話していなかった友人から夜中に電話が入り、夫を非難する話を一通り聞かされたのだ。子供のお受験に自分が必死になっているのに、旦那が同じボルテージにならず冷たかった、受験の失敗は夫の不熱心さにあるというのである。
こういう時、私の任は別の角度から光をあてて楽にしてあげることだと常々考えている。その夜も彼女が発想を変えれば、夫への不信感を払拭できると信じてこう話してみた。
「そんなことでご主人を責めちゃかわいそうよ。お受験は宗教みたいなところがあるから信者にならなかったご主人と貴女の間にはギャップがあるのは仕方ないよ。オウムの例でもわかるじゃない。麻原を信じている彼らを、外にいる私たちは理解できないでしょ」。
この瞬間、彼女はいきなり怒り出したのだった。オウム信者と自分を一緒にしたというのが、怒りの理由である。挙句の果てに「子供のいない貴女に話をした私が間違っていた」とまで言われてしまった。じゃあ、最初から私に電話してくるなよ、と思わず言い返したくなる。なんて失礼、“自己中”きわまりない人だろうか。
以来 7年、私は彼女が出席する会合を遠ざけ、電話も長くならないようにしている。どうやら彼女は他の友人たちの間でも重たい存在になっているようだ。
あの電話で彼女は自分が否定されたと感じたに違いないが、思えば「素人に余計なことを言われたくない」と怒った厚生労働省の役人も同じだ。自分が肯定されなかった時にいきなり牙を向く点では、昨今起きている不可解な犯罪と通じるものがある。悲しいことだが、日本人はどんどん幼稚になっている。
できれば友人たちには素敵でいて欲しいと思う。だから、もしも夫を亡くした友人がいれば、彼女のために仕事を探して奔走するし、ハンディを背負いつつ前向きに歩こうとしている人たちのことはいつでも応援する用意はある。けれども、お子チャマたちの自己正当化に付き合うのは御免だ。私ももう若くはない。残された人生、成熟した人々とお付き合いしたいと考えるのはワガママだろうか。
40 代も半ばなんだから、せめて同級生にはこう言いたい。
「みんな、そろそろ大人になろうよ」