モスキーノ
モスキーノの新しいショップが表参道骨董どおりにオープンし、そのレセプションパーティに出席した。
久しぶりに高見恭子さん、久保京子さん、秀香さんにお目にかかり、思う存分「フェラーリ」を味わった。やはりスプモンテはこれが一番だ。
朝の情報番組の一番は「スパモニ」、と言いたいところだが、視聴率トップの裏番組は「特ダネ」だ。その取材をかねてドン小西さんもいらしていた。彼は西麻布の住人で、コンビニや横断歩道でよくみかけていたが、今回、初めてじっくりとお話させていただいた。実に愉快な人だ。
「モスキーノもね、昔はもっと個性があったんだけどね」
と少し残念そうな口調で話したかと思うと、
「モスキーノは僕と同じ歳なんだよね」と自慢げに語る。
たしかに昔のモスキーノはもっと冒険があったように思う。それにもう少し、大人の服だったと記憶している。それが若者にも気軽に着られるデザインになって裾野が広がった。定番のハートに加え、ポップな花柄も種類が豊富になって、スーツなら仕事でも着られるのは楽しい限りだ。可愛いのに大人の色気を漂わせるモスキーノはお気に入りである。
私は子供のころから着道楽で、我が家は靴と洋服であふれている。玄関の下駄箱と寝室の棚にはパンプス、ブーツ、サンダル、草履がぎっしりと詰まっているし4畳の部屋にポールを5本打って、クリーニング屋さんのように服をつるしている。そこへ母の遺品の和服を桐の箪笥2棹とともに置いているというのだから、クローゼットを通り越して、テレビ局の衣裳部屋状態だ。
かつて西麻布の13畳半のアパートに住んでいた頃も大変だった。寝室はベッド以外、すべて洋服と靴やバッグで埋め尽くされていたのだ。衣裳部屋にベッドを置いているという表現が正しいかもしれない。当時、番組で共演していた森永卓郎が一言、「じゃあ、一部屋が芸能人で、もうひとつが作家の部屋なんだね」。実にうまく言い当てている。もう一部屋は、台所兼仕事場で、食器棚と本棚デスクでいっぱいになっていたのだ。おかげで洗濯機を置くスペースはなく、下着などは手洗いで、シーツなどの大物のために、六本木のコインランドリーに通っていた。その後、代々木のマンションに移って洗濯機を手にしたときには、嬉しくて嬉しくて毎日洗濯に明け暮れたくらいだ。
靴は木型との相性からシャルル・ジョルダン以外は受け付けないのだが、洋服の好みには変遷がある。流行に左右されないつもりだが、テレビに出るようになってからは、やはり時代の空気を反映している。
80年代半ば、「CNNデイウォッチ」でデビューした頃はノーマ・カマリとインゲボルグに、 NHK「ナイトジャーナル」の頃はT・ミュグレーとアイスバーグにはまっていた。ノーマ・カマリとミュグレーは、肩パットが大きくてウエストがしまっているのがお気に入りの理由だった。
ショルダーバッグがすぐに落ちるほどなで肩で童顔の私には、年齢を上に見せ、キャスターとして信頼されるためには肩パットが必需品だったのだ。子供のころから「お月さまにみたいにまん丸のお顔ね」といわれて傷ついてきた私は、テレビでの苦労が耐えない。ただでさえ横に広がるのだから、縦長に見せるために、前髪を立て、あごより下まで毛を伸ばし、襟のつまった服は絶対に着ない。何度か洗剤のCMオーディションに呼ばれたことがあるが、モニターに映った自分に驚いた。ライトのせいで実物以上に映っているのに、まるでアニメなのである。生活感がまるでない。これじゃ、選ばれるわけがない。そんな私がニュースを伝えるのだから、髪型と肩パットで迫力をつけるしかなかったのである
バブルがはじけてしばらく90年代前半まで、日本経済はまだまだ強気だったと思う。それを反映して、女性キャスターも、前髪を立てて肩パットの入った服が主流だった。いかにもバブルの象徴であるこのスタイルは台湾や東南アジアに飛び火して、日本で飽きられた後も数年、あちらの女性キャスターは一様にそのスタイルを踏襲していた。
一方でフェレッティやインゲボルグの花柄と、ディズニーのキャラクターをモチーフにセーターを作っていたアイスバーグにも惹かれていった。背伸びをした反動もあって、私にとっての癒しのアイテムだったのだ。
イッセイ・ミヤケのプリーツプリーズを着るようになったのは、関西テレビ「ワンダラーズ」で大阪に通うようになってからだ。それまでプリーツプリーズというと、広告やデザイン系のパーティで、40代以上の女性たちが制服のように来ている服という印象しかなかった。誰もがあのプリーツ地の黒一色でその身を覆っているのが気持ち悪かったのだ。ところが、「ワンダラーズ」のスタイリストだった山崎氏がイッセイの鮮やかなオレンジのシャツを用意してくれて考えを改めた。実はプリーツプリーズには恐ろしい多くの色やデザインが存在したのである。しかも、皺にならずに洗濯機で洗えるのだ。いや、むしろ熱に弱いためドライクリーニングは良くない。洗濯機を購入したばかりの私が入れあげるには、十分すぎる条件が整っていたというわけだ。
最近はプリーツプリーズよりイッセイ・ミヤケ、それにモスキーノ、アンナ・モリナーリ、ユキ・トリヰにはまっている。サイズがぴったりというだけでなく、アーティストとしての技術にほれ込んで投資しているという感覚である。
とはいえ、デザイナーのこだわりも、経営が成り立たなければ続かない。T・ミュグレーが今年の春夏コレクションで引退したというニュースを知って衝撃を受けた。LVMHの傘下に入ったブランドとは対象的だ。モスキーノもユキ・トリヰも若者路線に転じていることと無関係ではないのだろう。
20年前の服も捨てることなく、ひたすら溜め込んでいるのだから、我が家は狭くなるばかり。食道楽は年齢とともに控えめになりつつあるが、着道楽だけは誰にも止められない。私が預金に向かない理由は、どうやらここにありそうだ。